鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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にパリ8区のラ・ボエティ通り56番地に設立したシェロン画廊である。1917年、藤田の初めての個展が、同画廊で6月と11月の2回にわたって開催された。6月の展示では水彩画110点、11月には油彩画・水彩画110点が出陳された。カタログには批評家のアンドレ・サルモンが序文を寄せ、藤田の作風に19世紀以来の「ジャポニスム」の概念を適用して評している。この初個展には、かつて藤田にキュビスムの洗礼をもたらしたピカソも来廊して、3時間をかけてすべての水彩画を1枚ずつ熟覧したと伝えられ、著名な収集家であった服飾デザイナーのジャック・ドゥーセも訪れて作品を購入している。この初個展の造形の特徴は、横向きの完全なプロフィールで描く作画法と、有機的な曲線を多用する人体表現であった。このユニークな表現スタイルは、古代ギリシャの壺絵や皿絵などの図様や古代エジプトの壁画などから示唆されたものと考えられる。藤田は古代作品の模写をするにあたって、自ら人物像のポーズをしながら研究をしたというが、この方法はアメリカ人舞踏家のレイモンド・ダンカン(1874-1966)から倣ったものである。ダンカンは自らの舞踏のポーズの考察のために、ルーヴル美術館に通ってギリシャの壺絵を模写していたが、藤田の場合はあくまでも絵画制作のためのアプローチであった。舞踏する自分の写真に記された藤田自身による裏書きには、「自分自身が芸術品になって研究している」と記している。一方、人物の構成や腕から指先にかけての過度に誇張された特異なデフォルメには、幼い頃から慣れ親しんでいた浮世絵とりわけ喜多川歌麿の図様からの示唆が窺われる。オリエンタルな摩訶不思議さが横溢した1917年6月の初めての個展は、異文化への関心が高まるパリで人気を博している。一連の作品のなかでもひときわ独創性に溢れる《碁を打つ人々》〔図3〕では、対局に興じる人物たちが歌麿風〔図4〕の曲線を多用した軽妙さで描かれ、長卵型の特異な頭部には能面からの引用も感じられる。その一方で、2人の人物が左右に相対する平面的な画面構成には、ポール・セザンヌの晩年の重要な連作《カード遊びをする人たち》〔図5〕を強く意識していたことが窺われる。また縦横の格子状の碁盤と白黒の碁石は幾何学的なアプローチであり、真上から見た碁盤と横向きの人物像を組み合わせる手法は、ひとつの画面に異なる視点を導入するキュビスム的な視覚とも相通じる。とはいえ左側の人物の半跏思惟像〔図6〕のようなポーズが、母国の造形のルーツを投影する伝統図像であることはいうまでもない。また1917年の一連の作品群には、1915年にとフランス南西部・ドルドーニュ地方で研究したという古代の洞窟壁画〔図7〕からの示唆も窺える。滞在したレ・ゼジーの― 143 ―

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