鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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序研 究 者:尾道市立大学 芸術文化学部 専任講師  西 嶋 亜 美先行研究の関心は、視覚的参照源と作品受容に集中している(注1)。本研究は、本作品における古代ローマ表現の意図と特色を、文化的背景から明らかにするものだが、報告書では、紙幅の都合上、主題テキストからの画面構成と、それに対する友人の関与に注目して論を進めたい。1,主題物語と先行作例の確認ドラクロワがサロンのリヴレに掲載したのは、ダンテ『神曲』煉獄篇10歌の抜粋(〔資料〕の網掛部分)で、「アントニ・デシャンの翻訳によるダンテ」と引用元が記された(注2)。トラヤヌス帝が戦いに赴く道中、寡婦が自らの子の亡骸を示して皇帝に復讐を求め懇願する場面であり、ドラクロワは凱旋門の前で白馬をとどめる武装の皇帝と赤子の死体を前に両手を広げて跪く女との対面を中心に画面を構成している。皇帝は当初、目前に迫った戦争のため解決を先送りしようとするが、寡婦は、皇帝が帰らなかった場合にこの正義を他の誰かに託すのは道にもとると再度訴え、皇帝は嘆願を聞き入れる。この挿話は、13世紀に成立したヤコブス・デ・ヴォラギネ著『黄金伝説』中の聖グレゴリウスの伝説等によってダンテ以前からもキリスト教世界に広く知られていた(注3)。造形芸術における先行作例としては、ハンス・ゼーバルト・ベーハム(1537年、大英博物館)らにより騎馬の皇帝と膝をつく女が同時代の風俗を反映して表され、ヨハン=ハインリヒ・ショーンフェルトやノエル・アレ〔図2〕においては古代風に装った皇帝が馬から下りて女に近寄る表現で寛容さが強調される。アンドレア・ツッキはドラクロワ同様、皇帝の軍が凱旋門を通りぬけた場面を表した〔図3〕。19世紀中盤を代表するフランスの画家ウジェーヌ・ドラクロワは、1830年代後半、リュクサンブール宮の装飾に励む傍ら、新たに古代ギリシャ・ローマに題材を得た歴史画・物語画を発表する。《怒れるメディア》(1838年、リール美術館)に続き1840年に発表されたのが古代ローマの賢帝を描く《トラヤヌス帝の正義》〔図1〕である。この大作は、賛否両論をもって迎えられ、国家に買い上げられた。― 153 ―⑮ドラクロワ作《トラヤヌス帝の正義》─知的文化的潮流から絵画へ─

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