ジュネーヴ美術館には「トラヤヌス柱の浮彫」との書き込みのある関連素描が所蔵されており、ドラクロワのバルトリ作トラヤヌス柱複製版画の参照が指摘されているが(注15)、そこから彼が取り入れたのは、皇帝や従者の衣装や姿勢に加え、獣の皮をかぶって武装し軍旗章を掲げた歩兵や、ブッキナと呼ばれる湾曲したホルンを持った喇叭手たちという、騒然とした要素である〔図6〕。ラルジリエールに基づき版刻された古代図版集やモロー・ル・ジュンヌに基づき版刻された『マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝の道徳的省察』翻訳版の挿絵の一つ〔図7〕から、毛皮を馬の鞍替わりに用いる勇壮な騎馬像の着想を得ている点も指摘したい(注16)。ここで画家は、アカデミーの伝統に連なる古代の知識の集積から、勇猛さと躍動感の表現を吸収しているのである。3,友人の関与と18世紀の理論の参照こうした賑やかな装飾的細部は、完成作で焦点となる皇帝と寡婦の対峙をひきたてている。右上から対角線に沿って凱旋門に差す鋭利な光線が女の横顔を照らし、対するトラヤヌスは落ち着いて馬を止める一方、即座には反応できない従者達と乗馬に動揺が波のように拡がる。この効果を生み出すに至るまでに、ルーアン美術館所蔵の《トラヤヌス帝の正義》関連の素描からは、ドラクロワが主要な人物同士の向きや距離感、周囲の込み入った集団などを、早い筆運びで繰り返し試行錯誤している様子が分かる。初期段階で女が正面近くを向いていたことや、後ろから彼女を押さえる男の有無への迷いが見て取れ〔図8〕、女を一人で描くものもある〔図9〕。完成作に近い構成の素描でも、皇帝と女、周囲の兵の位置は定まっていない(注17)。こうした主要人物群の配置に関しては、もう一点《トラヤヌス帝の正義》の参照源となりえたテキストの存在が議論されてきた。ノエル・アレの《トラヤヌス帝の仁徳》に対するディドロの「1765年のサロン」評である(注18)。ディドロは、アレの皇帝は平板で高貴さに欠け、女は後姿で性別も定かでない点などを批判し、解決法を仔細に述べる。そのうち、嘆願する女の言葉の効果を示す従者たちの動き、女の向き、画面の縁で切れるように大勢の軍隊を示し、女に付き添いをつけるべきであるといった提案が、ドラクロワ作品では満たされている旨が指摘されていた(注19)。当時ルーヴル美術館に所蔵されていたアレ作品をドラクロワが知っていた可能性は高く、素描から読み取れる群像表現や主要人物の関係へのこだわりからも、ドラクロワ作品においてディドロの提案は吟味されているように見えるが、実際にディドロが参照されたかは判断が難しい。― 156 ―
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