⒇ ジェームス・ケーヒル(新藤武弘訳)「中国絵画における奇想と幻想」(『國華』978-980、昭和� 横山大観、竹内栖鳳、安田靫彦、上村松園。高村光太郎(著者小照)石井柏亭、中澤弘光、山� 現在ネルソン・アトキンス美術館蔵。� 参考となる研究は多いがここでは『関西中国書画コレクションの過去と未来』(関西中国書画コレクション研究会、平成24年)を挙げる。また稲賀繁美『絵画の臨界』の註123頁、第Ⅲ部第3章も参考となる。� 雪堂「芸園雑記」のうち「明清画蒐集家寺崎三矢吉氏」(『美術新報』210、明治45年)。� いずれも写真が『明治日本画の新情景』(山口県立美術館、平成8年)の巻末参考図版に掲載� これについては多くの回想が知られるが、安田靫彦「原三溪翁を偲びて」(『原三溪翁生誕百年� 細野正信「大正の新芸術樹立に向って」(『日本美術院 大正の熱き風』日本美術院、平成6年� 安田靫彦「今村紫紅のこと」(『三彩』31、昭和24年)。� 明治45年の『東洋美術大観』12(審美書院刊)所載。� 中村渓男「快男子紫紅の面影 盟友安田靫彦の聞き書より」(注⑽)。� 速水御舟「今村紫紅氏の思い出」(『中央美術』2-4、大正5年)。� 富取風堂、鈴木進「紫紅と御舟の思い出」(『三彩』385、昭和54年)。� 関如来「紫紅君遺愛の逸品」(『たつみ』12-3、大正7年)。なお、関は『五色の酒』ではこの作を「八大山人筆」として掲載したが、「落款には、たゞ白陽山人の筆に倣ふといふ文字が微かに読めるばかりで、其外は剥落して何人の筆に成つたか判然しない」と訂正している。� 安田靫彦「古画の研究に就て」(『新日本画分科講話』日本美術学院、大正4年)。また、靫彦は別稿「古画の研究に就て」(『日本画講義』)でも高然暉画に触れ「南宗画の古きもの」で「後代の南画に比べれば気格遥に雄大」と推賞する(39頁)。なお、後者を再録する安田靫彦『画想』(中央公論美術出版、昭和57年)は同書刊行を大正4年頃としている。安田建一「あとがき」を参照。� ネルソン・アトキンス美術館蔵品注�の別葉。� 現在東京国立博物館所蔵。なお「筆耕園」の複製は審美書院から大正元年に刊行されている。� 医師の反対を押し、原三溪からの援助を一年分前借りして実行に移したという経緯が知られる。岡部昌幸「美の梁山泊─大正四年、目黒の改革派赤曜会と現代日本画のさきがけ」(注⑶『大正日本画の若き俊英たち─今村紫紅と赤曜会』)に詳しい。� 今村紫紅の他の画論も参照。「思ひの草々」(『多都美』5-17、明治44年)、「暢気に描け」(『多� 『萬朝報』大正元年10月23日。� 「紫紅の追想」のうち岡本大更執筆分(『たつみ』12-3、大正7年)。大正3年歳末についての 前掲注⑸。 速水御舟「あの頃の話〈京都時代〉」(『美術評論』16、昭和9年)。50年)。132頁)。術史』177、平成26年)。本森之助、南薫造(装画)。され参考になる。記念 近代日本画大家展』昭和42年)が時期に言及する。都美』8-3、大正3年)、「色彩の話」(『新日本画分科講話』日本美術学院、大正4年)。回想。― 173 ―
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