鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 191 ―画説』12号、平成15年ほか)。また文学研究の側からは、『国文学 解釈と鑑賞』誌において「絵画を読み解く」の特集がなされている(平成20年12月、平成21年5月)。画賛研究も進展しており、桂園派の和歌画賛については田代一葉『近世和歌画賛の研究』(汲古書院、平成25年)がある。このように、文学と美術とを複合的に理解しようとする試みは、特に近世の美術について近年盛んに行われている。本研究はこれらの研究成果と方法論を参照しつつ、対象を幕末明治期に拡大し、和歌を中心とする文学と美術の関わりについて明らかにするものである。2 江戸時代後期の和歌と絵画近世における和歌・俳句と絵画の関係に関しては、武蔵野図などの名所絵、歌仙絵、また浮世絵や版本、工芸といった諸分野において検討され、和歌や謡曲を含む重層的な文芸イメージの中にそれらが醸成されてきたことが明らかにされている。江戸時代後期を見てみても、狩野永岳《三十六歌仙歌意図屏風》〔図1〕のように、伝統的な歌意図の制作が続けられている。これは六曲一双の屏風に三十六枚の色紙を貼り、金雲によって区切られた空間に一首ずつの歌意を描き出したものである(注2)。また百人一首の普及を背景に、浮世絵でも■飾北斎による《百人一首うばがゑとき》、歌川国芳・歌川広重・三代歌川豊国による《小倉擬百人一首》など、当世風にアレンジされた歌意図が盛んに作られた。これらの多くは画面内に直接色紙を貼り付ける、あるいは色紙形や短冊形などを用いて画面に直接文字を書き入れる場合が多い。それらを行なわず絵画だけで歌意を表現するのは、吉村孝敬《十二ヶ月花鳥図屏風》〔図2〕のように、定家詠月次花鳥歌など主題とする和歌にすでに絵画化の定型があり、鑑賞者がすぐさま和歌を思い起こすことのできる場合であった(注3)。しかし近代においては、絵画は文学から独立し純粋性が追求されるべきものとなった。書画分離が推し進められた結果、展覧会会場の絵画からは前時代のような画賛や色紙形の文字は姿を消し、それらが絵画の主題として用いられることも減少したように見える。この要因は複数考えられるが、明治15年の『美術新説』講演を始めとしたフェノロサらの文人画批判、「他人の描いたものは出品できない」という規則を持ち近代的美術家という制度を導入した展覧会という場の成立、そして何よりも賛者と画家とのプライベートな関係を示す画賛という形式そのものが公の空間に展示される作

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