鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 194 ―ここで第一等賞を受けたのは外山正一の古事記から採った神話であったが、第二等賞は西行法師を画題とした「鬼神の徳」、第三等賞には「蓮如、新院を真島の御所に訪ひ参らす図」、「西行白峰の陵に詣づ」、そして稲田姫を主題とした「奇縁」があった。わずか6点の入選画題のうち2点が西行のエピソードである。「鬼神の徳」は西行が伊勢に詣で、仏僧である西行も伊勢大社の威容に敬神の念を起こし「何事のおわしますをば知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」と詠んだ場面である。もう一方の「西行白峰の陵に詣づ」は、西行が配流地の讃岐で没した崇徳上皇の陵に詣で、「松山の波に流れてこし舟のやがてむなしくなりにけるかな」「松山の波のけしきは変らいをかたなく君はなりまさりけり」と詠んだ場面である。更にもう一つの入選画題も、蓮如が讃岐に流された崇徳上皇を訪ね、和歌を詠み交わして院を慰めるという場面であった。歴史画題の募集でありながら、この三題は僧であり歌人でもある西行や蓮如が、天皇家あるいは伊勢神宮を讃えた和歌を詠む場面を主題としている点が興味深い。明治20年代以降の和歌は天皇や宮廷と密接な関係を持つことで復興されてきており、この歴史画題募集の結果も当時古歌が天皇家と結びつけられてイメージされたことを示している。歴史画題募集の入選作は下村観山や小堀鞆音が絵画化し、第7回絵画共進会に出品された〔図3〜5〕。これらは当時の歴史画の通例として、装束や建築など細部の考証が歌意そのものの表現より重視されたことは言うまでもない。まさに歌を詠んでいる歌人を描くことを主眼とする点で近世までの歌意図とは明らかに異なっているが、しかしその主題の中心に古典和歌があることには違いない。歌を文字として直接書き付ける作品が適さない展覧会場において、文字に代わって主題となる和歌の典拠やその情感を表す機能を持たされたのが、絵画中の歌人の姿であったと言うこともできよう。近代に現れた一種の歌意図と言える。下村観山は東洋画題募集の入選作《鬼神の徳》を描く前年、第4回絵画共進会にも和歌をテーマとした作品を出品している。《小町》〔図6〕がそれで、桜の木の下に一人の老女が立つところを描いている。人口に膾炙し小倉百人一首に入る小野小町の和歌、「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」を描いたものである。はらはらと散る桜の花弁と既に葉の多くなった桜の木の描写は「花の色は移りにけりな」を逐語的に示す。さらに絶世の美女と謳われた小町をひたすらに痩せ衰えた面貌に描き、大きく重そうに描かれた十二単がその衰相を際立たせている。良く知られた和歌を説明的に描き歌意を表現しようという試みだが、ここでは説明的な描写が行き過ぎ、当時幽霊か死人のようだなどと酷評された。観山は美術学校時代に

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