鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 204 ―珠信仰との関連性、醍醐寺と村上源氏との密接な関連性が示されている作例との見方がある(注15)。鞍馬寺像は、毘沙門天像・善膩師童子との三尊構成である。吉祥天像の像内納入品である『般若心経並大吉祥天女十二名号経』の奥書から、大治2年(1127)に重怡上人が極楽往生などを祈願して造立されたとされるが、材質や作風の違いにより、三尊は同時期の作ではなく吉祥天像のみがやや下るとされている(注16)。法隆寺金堂像は、前述通り『金堂日記』の記載から、承暦2年に吉祥御願の本尊として造像されたことが判明する。制作年代の明確な3例を取り上げても、その造像背景は様々であり、平安時代における吉祥天信仰の多様化を伺い知ることが出来る。特に法隆寺像は、吉祥御願という法会に関連する唯一の作例であるため、引き続き検討を進める。2.法隆寺金堂毘沙門天・吉祥天立像について①概要(注17)毘沙門天像〔図1〕は、像高123.2㎝。頭部は螺髻を結い、左手は垂下し手の甲を前にして第二指を伸ばし、他指を曲げて戟を逆手に執り、右手は屈臂し掌を上に向け宝塔を載せ、左足をわずかに前に出して立つ。甲冑、肩布、天衣、裙、袴を着け、頭部には宝冠を載せる。吉祥天像〔図2〕は、像高116.7㎝。頭部に垂髻を結い、左手は屈臂し、掌を上に向け火焔宝珠を載せ、右手は斜め下に垂下し、掌を内側に向け、沓を履いて直立する。着衣は、上半身に筒袖・大袖の衣、襠衣を重ね、下半身には裙と蔽膝を着ける。頭部には銅製の宝冠を載せ、さらに銅製の耳飾り・胸飾を付ける。両方とも形式的には、ほぼ典型的な毘沙門天・吉祥天と考えられるが、毘沙門天の戟の持ち方、吉祥天の右手の印相が通形と異なるという点だけここでは指摘しておく。構造は、毘沙門天・吉祥天ともに一木割矧造、彩色、彫眼である。毘沙門天は、頭体を通して針葉樹の一材より彫出し、前後に割矧いだのち内刳りを施す。両肩から袖に至る材を各一材矧ぎ、さらに手首を矧ぐ。吉祥天も大方の構造は、毘沙門天と同様である。表面は、両像の肉身・着衣部ともに全体的に彩色が良く残り、着衣全体に宝相華・唐草・団花文などが繧繝彩色で描かれる。また団花文は、箔の上に文様の輪郭線を塗り残す彫塗りという技法を多用している。後補部は、両像の銅製宝冠、毘沙門天の両脚間紐、持物、吉祥天の銅製胸飾、宝珠火焔、裙裾の当て木であり、全体的に当初の姿を良く残している。本像は、承暦2年より記された『金堂日記』「一、開金堂可修御願事」の「三尺五

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