鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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注⑴ 参照した主な先行研究は以下の通りである。 根立研介『日本の美術 吉祥・弁才天像』317号、至文堂、1992年 猪川和子「吉祥天彫像」『美術研究』210号、1960年 山岸常人「悔過から修正・修二会へ─平安時代前期悔過会の変容─」『南都仏教』52、1984年 酒井信彦「修正会の起源と「修正月」の出現」『風俗』19、1980年 酒井信彦「法成寺ならびに六勝寺の修正会」『風俗』24、1985年 吉田一彦「御斎会の研究」『延喜式研究』8、1993年 また、吉祥天関連法会の概要に関しては、拙稿「當麻寺吉祥天立像考─平安時代の吉祥天信仰をめぐる一作例として─」(『三井美術文化史論集』第4号、三井記念美術館、2011年)でも触れている。⑵ 前掲注⑴酒井氏論文「修正会の起源と「修正月」の出現」⑶ 『東大寺要録』巻四「吉祥堂」⑷ 『金堂日記』については注⒅を参照のこと。― 207 ―尊として造立されただけではなく、法隆寺における当時の聖徳太子信仰とも深く関わった可能性が示唆されるのである。さらに、保安2年(1121)の法隆寺聖霊院聖徳太子坐像が戴く冠上には、後補ではあるが毘沙門天像が載る。この点について、聖徳太子が観音の生まれ変わりを示す指標であるとの見解もあり(注29)、釈迦を中心に毘沙門天・吉祥天を配するという本像の尊像構成が、単に『金光明最勝王経』「四天王護国品」に基づくだけではなく、毘沙門天像を介した聖徳太子信仰との繋がりの可能性も加えて指摘しておきたい。終わりに平安時代における吉祥天は、信仰形態の多様化に伴って造像背景が複雑化したため、法会や現存作例については、改めて多元的視点から捉え直す必要性を再認識するに至った。さらに、現在法会と造像の関連を捉え得る唯一の作例である法隆寺金堂毘沙門天・吉祥天立像については、『金堂日記』の記載ならびに法隆寺聖徳太子坐像との制作年代・像容・法量の近似性、道勢という同一人物の関わりにより、本像が単に他寺でも行われていた吉祥御願の本尊として造立されただけでなく、聖徳太子信仰といういわば法隆寺独特の信仰背景によって造立された作例であると結論づけた。今後法隆寺像については、道勢・源義及び開浦院の関係、また吉祥御願と現在の金堂修正会との関わりを検討課題とし、さらには吉祥天に関する各法会の関連性、各吉祥天の作例についての考察を進め、平安時代における吉祥天の諸問題をより多角的に捉えていきたい。

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