鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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オオコノハズク― 218 ―木葉木菟、鴲■■、真■■■鶸、鷦■■■■■鷯、以上13種、左右幅あわせて26種の鳥が描かれている。大百鳥図には描かれていない鳥もいくつか見られ、レパートリーの多さに驚かされる。また鳥の数は多くないが、木菟引を描いた摺物《禾葉秋興 木菟図》(雲英文庫蔵 「噲々其一」行書落款)の作例もある。先例として抱一も《十二か月花鳥図屏風》(香雪美術館蔵)の11月において木菟引を描いている。抱一作は小鳥の数も少なく、淡白な構図である。其一の摺物の作例はこの抱一作の構図にかなり近い。モビングあるいは木菟引は、当時広く知られていたようであり、『和漢三才図会』44巻の鴟■■■■鵂の項にも記述があり、また『江戸名所図会』(斎藤月岑 1836年)第4巻12冊の落合の「一枚岩」の頁にも、モビングの様子が描かれている(注13)。其一は、師の作から学ぶというよりは、そういった小鳥の行動を独自の造形感覚で視覚化していったと言える。画面を埋め尽くすように多数の鳥や動物を描くことは、例えば中国の明代絵画にその源流をたどることができる。明代初期の宮廷画家、辺文進による《三友百禽図》(永楽11年[1413]台北故宮博物院蔵)は「歳寒三友」の松竹梅に、様々な種類の鳥97羽を描く。百を題し、吉祥の意味が込められている。また無款の《秋林聚禽図》(四川博物館蔵)(注14)のように、奇峰がそびえ立つ川べりで、前述の《三友百禽図》ほど種類は多くないものの、多数の鳥が枝にとまったり、群れをなして飛んだり、渓流にたわむれたりしている様子を描いた作例もある。日本にもこのような明代絵画が伝わっている。伝銭舜挙筆《百鳥図》(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)は、旭日を仰ぐ鳳凰を取り囲むように、群鳥が集う。鳳凰は明君が出て天下泰平になると現れる瑞鳥で、梧桐に棲み、飛べば群鳥を従え、百鳥の王と言われる。鳳凰の周囲に群鳥が集う図は「百鳥朝王」という画題で、明君の威徳を寓意する(注15)。この伝銭舜挙筆《百鳥図》は明治天皇へ献上されるまで、妙心寺の所蔵であった。『癸巳西遊日記』によると3月3日に妙心寺を訪れており、確証はないが其一がこれを実際に目にした可能性もある。また近衛家旧蔵の《夏景聚禽図》(出光美術館蔵)は辺文進の子、辺楚善によるもので、父の画風を受け継ぎ、構図、描法ともに前述の《三友百禽図》に学んだことがよく見てとれる。このような明代絵画は少なからず当時の日本の画壇に影響を与えたようであり、狩野栄信筆《百鳥図》(永青文庫蔵 1816〜1828年頃)などにその一端を見ることができる。鳥だけでなく、動物を多数描くことも行われ、円山応挙筆《百蝶図》(徳川ミュージアム蔵 安永4年[1775])(注16)や狩野栄信筆《百猿図》(静岡県立美術館

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