鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 219 ―蔵 1802〜1816年頃)などの作例が挙げられる(注17)。また応挙には《群獣図屏風》(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)の作例があり、松・檜という常緑樹を左右隻に配し、《百鳥百獣図》より数は少ないものの、合計19種類53体の動物を描く。さらに伊藤若冲筆《樹花鳥獣図屏風》(静岡県立美術館蔵)は、枡目描きで右隻に白象を中心に23種31体の動物、左隻は鳳凰を中心に35種65羽の鳥を描く(注18)。鳥と動物を対にして画題とする構成は、《百鳥百獣図》の先行例と言える。其一作へ目を戻すと、「百鳥図」は画面の一番上部に鳳凰をやや大きく描き、その下にその他の鳥たちが描かれる。下へ向かって羽を広げる鷲はひときわ大きく描かれている。前述したように鳳凰と群鳥という「百鳥朝王」を表しているとも考えられ、また鷲は権力の象徴であるので、吉祥や天下泰平を表していると言えるだろう。「百獣図」は一番上部に空を飛ぶ麒麟を描き、その下に想像上の動物を含めた動物たちを描く。麒麟と鳳凰の組み合わせは、「麟鳳呈祥」と言い、天下泰平を象徴し(注19)、また結婚用品等に用いることもあるという(注20)。其一には《麒麟・鳳凰図》の対幅(個人蔵)の作例がある。「噲々其一」落款(行書落款)と「庭柏子」朱文重郭円印を捺し、同じ第2期の作である。《百鳥百獣図》と比較すると、淡彩の遠山が類似するが、鳳凰の羽や尾羽、目元の描きかたが異なり、麒麟の体色の違い、一角か二角かの違い、顎鬚、膝の毛の有無、火焰の有無など、異なる点が多い。実際に目にすることのない霊獣などを描く際に、参照した資料はいくつか存在していたと推測される。この《麒麟・鳳凰図》は大正6年(1917)の『舊御大名家・某大家御所蔵品・故富岡男爵・同前田香雪君御遺愛品入札目録』と昭和2年(1927)の『堤家・新川某家御所蔵品入札目録』に掲載されている。さらに大正7年(1918)の『當市某子爵家・埼玉懸渡邊家所蔵品入札目録』にも《麒麟鳳凰》の掲載があり、一見すると同じであるが、遠山の形態や、岩や梧桐の幹を描いた墨のかすれ具合が異なるので、別作品であり、複数の作品の存在はそれだけ需要があったことを示している。結婚などの慶事に贈られることもあったであろう。《百鳥百獣図》の制作背景について、箱の蓋裏に酒井道一による書付が添付されており、それを知る手がかりとなる。以下のように記される。「右着宅鳥獣四季の図双幅拝見/致候處是は鈴木其一天保ヨリ嘉永/二渡り酒井家御住居御殿装飾ヲ認候/折書候品ニ而老生見覚候画二有之候/何分故人の御好次第何時ニ而も箱書認/可進者也/明治四十一年十月廿八日 酒井道一 印」描かれた当初は酒井家の屋敷を飾った対幅であった。姫路藩主酒井家は、13代忠■■■■学(文化5〜天保15年[1808〜1844])が天保6年

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