鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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研 究 者:アーツ前橋 学芸員  今 井   朋ジャポニスムという分野が欧米において美術史研究の一分野として認識され始めたのは1975年から1976年に開催された「Japonisme, Japanese Influence on French Art 1854-1910」(注1)及び1988年にパリと東京で開催された「ジャポニスム」展(注2)に負うところが大きい。それ以前にも、学術レベルで先駆的な研究が行われてはいたものの(注3)、ジャポニスムという単語がフランスを中心とした美術史界で浸透し始めるのは、上述の1988年以降ということができる。本分野が、近年改めて注目されつつある背景には、特にフランスにおいて「嗜好の歴史」が美術史研究の中で確立されはじめたことによるだろう。『芸術における再発見』(1976年出版)などのフランシス・ハスケル(注4)の著書が遅ればせながら1990年代頃からフランス語に翻訳されはじめたのが、その大きな理由である。ハスケルは、直接的にジャポニスムなどの異国趣味については触れてはいないが、美術史を美術市場や蒐集家のような社会学的現象から分析し、美術史を時代ごとの嗜好の変化によって「忘却」や「再発見」の連鎖によって形成されると捉える。このような方法論は、19世紀後半の一時代を支配した嗜好としてのジャポニスムという現象を分析する上で必要不可欠な視点ではないだろうか。近年、このような流れをうけて、蒐集家やそのコレクションを分析の対象としながら数世紀の歳月を経て忘却の対象となっていた作品群を再評価する研究がフランスを中心に多く発表されている(注5)。1858年の日仏修好通商条約締結以降に日本からフランスへ渡った日本の美術・工芸品の数は私たちの想像を遥かに超えるものであった。これらのコレクションは、まず日本を実際に訪れたグロ男爵(注6)やシャシロン男爵(注7)らによりフランスへ持ち帰られ新聞や雑誌のような媒体に掲載されることで情報が流布していく。その後、1860年代末から1870年代にかけて最初の日本美術愛好家サークルが形成されてくると、ジャポニスムの提唱者として認知されるフィリップ・ビュルティ(注8)やエドモン・ド・ゴンクール(注9)らが挙って日本美術を蒐集するのである。1893年には、これら第一世代の愛好家たちがルーヴル美術館のような公立の施設へそのコレクションを寄贈することによって、一つの流行であったものが超保守の体制に認められてゆくという系譜を読みとることができる(注10)。また、美術館などへの寄贈を拒む蒐集家のコレクションなどは1891年のビュルティのオークション(注11)を皮切りに、オークションを通じてジャポニスム蒐集家の第二世代の形成へ寄与することとな― 13 ―②フランス・ナンシー国立美術学校所蔵の日本美術コレクションの形成とその役割

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