鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
231/620

注⑴安村敏信「鈴木其一─私的嗜好の表出─」『鈴木其一展』板橋区立美術館 1993年⑵渡辺達也『歌麿と栃木』歌麿と栃木研究会 1991年 p. 58⑶落款に「太冲」が使われた例は今のところ他に知られない。「鋤雲」の大きい円印は、光琳や― 221 ―の絵画との関係等、さらに考察するべき点が残っており、今後の研究課題としたい。抱一の印を意識しているのであろう。⑷これに対し、画業第3期の「菁々」落款を持つ《群鶴図屏風》(プライス・コレクション)は光琳の作をそっくり写したものである。⑸《双鶴図》の他にも、酒井抱一画・加藤千蔭書《桐図屏風》(紙本墨画淡彩)や酒井抱一筆《大黒天図》(絹本墨画淡彩)などが伝わった。(井田太郎「新出の酒井抱一画・加藤千蔭書「桐図屏風」と永田コレクション」『MUSEUM』601号 東京国立博物館 2006年)⑹画中の扇面に「噲々其一」の隷書の署名と「元長」朱文壺印を有し、共箱の蓋裏に「噲々其一筆」の行書の署名と「祝琳」朱文方印が捺されている。箱の内底には別筆で「天保十五甲辰年春 移徒為祝 原口長兵衛殿より 至来致ス」とあり、天保14年暮れに家移りをした友人に、原口長兵衛なる人物が其一画を転居祝いとして贈ったものである。所有していた古い其一画を贈った可能性と、天保14年に其一に新たに描かせた可能性がある(河野元昭「鈴木其一の画業」『國華』1067号 1983年)。⑺なお「菁々」落款を使い始めたのは、抱一筆三幅対《仁徳天皇・四季草花図》の箱の蓋裏に「天保十五甲辰年春三月 祝琳斎菁々其一誌」と記され、「其弌」朱文方印が捺された例が知られているので、天保15年(1844)がその始まりである(前掲 河野元昭「鈴木其一の画業」)。⑻“Silver Wind The Art of Sakai Hoitsu” Japan Society 2012 no.58⑼本論に登場する鳥の名前の大部分は、松田道生氏(鳥の専門家 元日本野鳥の会職員)にご教示いただいた。⑽ニホンオオカミ。⑾『和漢三才図会』では、兔と狡兎は別のものとしている。⑿奄美大島や沖縄の鳥である。『画筌』に掲載がある。⒀松田道生氏のご教示による。⒁『中国絵画全集』12明3(文物出版社 2000年)所載。『四川省博物館』(講談社 1988年)では《春渓浴禽図》と紹介されている。⒂野崎誠近『吉祥図案解題─支那風俗の一研究』1940年(宮崎法子監修 ゆまに書房 2014年所収)⒃現存は確認されないが、本草書目には其一画による『百蝶図』(刊年不明)一巻が掲載されている。⒄中国絵画にその源泉をたどることができ、清の郎清寧による巻子《百蝶図》(台北故宮博物院蔵)や、宋の易元吉による巻子《聚猿図巻》(大阪市立美術館蔵)などが挙げられる。⒅《鳥獣草花図屏風》(プライス・コレクション)は、29種38体の動物、46種68羽の鳥を描く。⒆李祖定編・山村敏江訳『中国伝統吉祥図案』説話社 2009年⒇前掲 野崎誠近『吉祥図案解題─支那風俗の一研究』■ 『姫陽秘鑑十二』(『姫路市史資料叢書2 姫陽秘鑑一』姫路市史編集室 2003年所収)

元のページ  ../index.html#231

このブックを見る