鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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研 究 者:東京大学 東洋文化研究所 訪問研究員ハーバード大学 美術史建築史学科 博士後期課程はじめに唐代の僧侶玄奘(602頃−664)の生涯とその事蹟については、これまで様々な解釈が加えられてきた。彼は俗世に染まらぬ学僧、多作な翻訳者、才能あふれる経典の注釈者、さらには信心の力により、中国−天竺間の十六年もの長きに渡る巡礼に耐え忍んだ叙事詩的な旅人でもあった。玄奘の巡礼と経典翻訳は、その後の東アジア世界で大きな影響力をもち、仏教巡礼者中、最も偉大な人物と考えられてきた。周知の通り、日本国内、特に興福寺の所在する南都において、玄奘は法相宗の鼻祖として知られる。説話の世界では、玄奘は猴行者の旅の道連れとなり、やがて彼の物語は明代において『西遊記』へと発展した。玄奘の生涯は『大慈恩寺三蔵法師伝』および『大唐故三蔵玄奘法師行状』等、数多くの史料に記録されている。彼のカリスマ的な人物像は、宋版 『大唐三蔵取経詩話』(大倉集古館蔵)(注1)や『今昔物語』といった多くの物語でも目にすることができる。また玄奘の肖像は敦煌から日本に至るアジア全域で、描かれ、刻まれ、そして印刷されてきた。法相宗興福寺門跡大乗院旧蔵・国宝「玄奘三蔵絵」(藤田美術館蔵、十四世紀)〔図1〕は、玄奘の生涯を十二巻(あわせて200メートルもの長さに及ぶ)に渡って描き、中世日本の「肖像画法」の到達点を体現する作品として良く知られている。中世の日本で玄奘の肖像画を描くことを担った画家は、二種の異なる玄奘の図様を発展させることで、玄奘像の内包する多面性を表現した。ひとつは玄奘の翻訳者としてのイメージを反映した「学僧像」、そして今ひとつは巡礼者としてのイメージと、彼の旅路にまつわる説話群と反響しあう「取経僧像」である。どちらの図像も、釈迦十六善神図(以下、「善神図」)に描かれた玄奘の姿に典型的にあらわれる。鎌倉から南北朝時代までの「善神図」は少なくとも数十例が知られている。本研究では、かかる作例中にみられる玄奘図像の系統を明らかにした。その上で、「玄奘三蔵絵」中の玄奘像が纏う特徴的な、条部が朱、縦横の葉が黒色、そして裏地が緑色の袈裟(以下、「朱袈裟」)の重要性を、「善神図」中の玄奘像との比較から考察した。レイチェル・サンダーズ(Rachel Saunders)― 226 ―㉑ 玄奘三蔵像研究  ─中世釈迦十六善神図を中心に─

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