鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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る。ナンシーの日本美術コレクションの概要とその研究の状況20世紀という100年を経ることでジャポニスム時代にフランスで蒐集された多くの美術・工芸品はオークションにより散逸し、時にはヨーロッパの他国やアメリカなどの新興国へ渡った。現在、フランスにおいてまとまって見られるコレクションは非常に少ないが、その中でも、フランス東部のナンシー市には、未だ多くのジャポニスム時代のコレクションが残されている。本論文では、これらのコレクションのうち特に国立ナンシー美術学校のコレクションについて論じたい。どのような歴史的コンテクストの中で蒐集され、また利用されたのかを分析することで本コレクションの果たした役割について考察できるのではないか。現在まで未調査であった本コレクション(注12)をコレクション史という新たな視点から光を照射することにより、ハスケルのいう「忘却からの再発見」として提示できればと思う。19世紀末のナンシーが、エミール・ガレやドーム兄弟などを中心としてナンシー派と呼ばれる新たな工芸復興運動の中心的都市になってゆくことは既に周知の事実であろう。イスラム圏の美術が西洋美術に影響を与えたオリエンタリズムが、停滞していた19世紀フランスの工芸分野の革新に大きな役割を果たしていく中で、日本の美術・工芸品がナンシー派に与えた影響は大きい。ナンシー市に現在保管される日本美術コレクションはパリを除くフランス国内の他都市と比較しても圧倒的な量と質を誇る。まず、ナンシー市立美術館には極東美術のコレクターであったシャルル・カルティエ=ブレッソンのコレクションが所蔵されている(注13)。ナンシー市立図書館には、「高島蔵書」とよばれ、ガレとの親交で知られる高島北海がナンシーに残したとされる日本の画帳92冊が所蔵されている。また、ナンシー派美術館には、ヴィクトール・プルヴェ旧蔵の日本の浮世絵111枚と型紙59枚が、ロレーヌ美術館にはルネ・ヴィエネール旧蔵の型紙66枚がある(注14)。また数は僅かであるがエミール・ガレ旧蔵の日本の画帳類がガレの末裔の元に(注15)、アントナン・ドーム旧蔵の日本の浮世絵がドーム=サジェム社に現在も残されている(注16)。最後に、国立ナンシー美術学校には、580枚の浮世絵、137冊の版本や絵手本、6点の巻物、11点の陶器、2点の装身具が所蔵されている。国立ナンシー美術学校所蔵の日本美術コレクションは、他館所蔵のコレクション群と同時期の19世紀末から20世紀初頭に蒐集されたものであるが、アーティストやコレクターのような個人の旧蔵品と異なり、学校という公立の組織が当時の学生のために蒐集した歴史的コンテクストを考えると、その役割はさらに― 14 ―

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