袈裟を纏い、 経典で満たされた笈を背負って合掌している。この例は、タイプB像よりも倍の数が現存する。代表作は禅林寺本〔図5〕(鎌倉時代、十三世紀)、園城寺本 (鎌倉時代、十四世紀)、 慈雲寺本(南北朝時代、十四世紀)、南禅寺本(鎌倉時代、十三─十四世紀)、そしてボストン美術館本(十四−十五世紀)を含む。学僧像にみられた公式の袈裟と取経僧像の旅装を組み合わせていることからも明らかなように、このタイプは玄奘像の代表的なふたつの側面をあらわしている。 彼の際立った敬虔さは慈雲寺本で特に表現されている。この玄奘像は前方へ歩みを進めているように描かれるが、同時に視線を下に落としているようである。この図様は、穏やかな表情と、際立って可愛らしい童子形を随えている点などが、やや通常とは異なる。童子は、明らかに玄奘を見上げ、深沙神王も神々しい玄奘の姿を見つめているように描かれる。そのため玄奘は神々しいばかりの穏やかさを湛える反面、やや厳めしいタイプAにはない人間性の度合いを示している。禅林寺本は慈雲寺本よりも正統的な南都仏画であるが、深沙神王のおとなしい様相は後者と共通する。しかし、禅林寺本では、玄奘と深沙神王が通常とは逆に配置されており、また深沙神王の臍にあらわれる童子の頭部が玄奘をまっすぐ見つめるという独特の表現は、両者の密接な繋がりを効果的に表現している。この配置の逆転についての解釈としては、深沙神王を、その左に描かれた赤面の善神と隣同士にあらわすためであったという見方が可能であろう。この赤面の善神は十六善神中唯一正面観で描かれ、注意を喚起するかのように、観者を凝視している。この赤面の善神は、毘沙門天のように多宝塔を捧持しているわけではないが、深沙神王像との明確な並置は、深沙神王が毘沙門天の化身であるという信仰を反映しているのかもしれない。 タイプDタイプD はタイプAからCで確認した図様の特徴を何らかの形で組み合わせる。タイプDの玄奘像は旅装の上袈裟を纏う形で頻繁にあらわされ、笈を背負い、払子と経巻を取る。このタイプの玄奘像は 、該当作品中で最も頻繁に出現する。メトロポリタン美術館本〔図6、7〕、大倉集古館 AおよびB本〔図8、9、12、13〕(注17)、根津A本(注18)、オーストラリア国立美術館本(以下「NGA本」と略称)〔図10、11〕を含む作例の大半は、十四世紀後期に比定され、十三世紀後期の温泉寺本〔図14、15〕のみが例外である。画家たちはタイプA−Cにおいてすでに確立された玄奘像をかなり自由に組み合わせたため、タイプDは図像的に最も変化に富む。温泉寺本のような特異な事例では、玄奘は剣と杖を携え、鍔広の旅行帽をかぶり、経典を入れたふたつの唐櫃を背に乗せているらしい馬をつれている。禅林寺本の赤面の善神のよう― 230 ―
元のページ ../index.html#240