― 231 ―に、馬は明白な正面性をもって描かれ、観者の注意を引く。温泉寺本にみられる馬について、のちに『西遊記』において玄奘の巡礼の一行に加わることになる白龍馬と関連する何らかの説話の生成期の一類型を反映している可能性を指摘しておきたい。 彩色鮮やかなNGA本の玄奘像は、タイプDの一典型である。玄奘は襟に金泥の織りの文様の入った黄褐色の衣を纏う。衣文線には墨線をなぞるように金泥線が引かれている。笈の笠には香炉がかけられ、また玄奘の頭部後方の背板部分には、金泥の宝相華文が施されている。玄奘は剣と前垂れを帯びている。その視線は地面に向けられ、巡礼における精神集中を示唆している。普賢の乗る象と文殊の獅子、その他玄奘を取り巻く多くの諸尊は、この小さな僧に視線を向けているが、玄奘はそれに気付いていないようである。大倉B本は中尊が総金ではない点でNGA本と異なるが、この二図には留意すべき多くの類似点が存在し、両者の間に転写関係、あるいは共通の原型があったことを示唆する。一方、 大倉集古館A本とメトロポリタン美術館本の間には、メトロポリタン美術館本では普賢と文殊の配置が逆転している等、構成上の明らかな差異が存在する。しかしながらやはりこれら二図間にも見逃し難い多くの類似する要素があり、それは特に玄奘と深沙神王の描写に明らかである。玄奘像にみられる大きな目、肉付きのよい鼻、豊かな唇、柔和な表情は慈雲寺本を想起させ、タイプAの学僧像とは大きく異なる、やや女性的とも言える姿を示す。NGA本同様、玄奘は金泥の織り文様が入った黄褐色の衣を纏い、剣と前垂れを持ち、左の耳朶の大きな金の耳飾りをしている。 四タイプの分析本稿が試みた釈迦十六善神図における玄奘像の分類から、タイプAの数が最も少なく、おそらくは最初期の玄奘像を示すことが明らかとなった。このことは、「学僧像」が「取経僧像」よりも古式で、南都地域と強い関連性をもつという先学の主張と一致する。筆者がこうした見解に付け加えたいのは、現存する国内最古の玄奘図である「諾距羅尊者・玄奘三蔵像」(聖衆来迎寺旧蔵 「十六羅漢像」の一幅、東京国立博物館蔵、平安時代)でも、やはり玄奘が朱袈裟を纏って描かれていることである。本稿で考察した現存作例は、タイプBの取経僧像が十三世紀にタイプAに取って替わり、同じ頃にタイプCとDがタイプBと並存するようになったことを示唆する。さらに十四世紀の作例からは、より明確でわかりやすい玄奘像を求め、制作者側が既存の多様な図像類型を自由に組み合わせる姿勢が見てとれ、それがやがて笈を背負いつつ、裏地が緑の朱袈裟を纏う、南北朝と室町時代のタイプDの玄奘像へと発展したことを示し
元のページ ../index.html#241