研 究 者:東京藝術大学大学院 美術研究科 博士後期課程 敷 田 弘 子はじめに生産の機械化がその領域形成の一要因であるデザインにおいて、機械生産の本領である大量生産とデザインが担う造形の関係を問うことは、デザイン史上の重要課題である。本論は、大量生産と造形の関係を検討する上で最初期にあたる大正期の様相を考察するため、同時期に木檜恕一が述べた家具の大量生産論を取り上げ、その背景に、同時代日本の生活改善運動と新しい価値観、美意識を指摘して、大正期の大量生産論の特質として提示することを目的とする。機械化の進展は、機械の性能向上とともに、機械を用いる技術の向上をもたらし、大量生産方式へと発展した。これに関連して、生産の機械化が造形に変化をもたらしたことはすでに述べられてきたところである。特に、生産の機械化が機能や合理性といった新しい造形価値やそれを体現する非装飾的な形態を生み出す要因となったことは、モダン・デザインの出自の一つともいえるであろう。しかし、機械化自体がそうした価値と造形を形成したとは必ずしもいえない。マイケル・エッテマ氏は、19世紀後半アメリカの家具生産において、機械の使用によりデザインは簡略化されたが、しかし、需要者層を前提とした段階的なバリエーションがあったことを明らかにしている(注1)。ジョン・ヘスケット氏が、生産の機械化は、装飾性の高い製品、場合によっては、それまで困難であった装飾でさえ可能としたと述べているように(注2)、機械化自体は、装飾へのアプローチの方法を変えるものではあったが、決して否定するものではなかったということである。実際、〔図1〕は、1890年頃、アメリカ、グランド・ラピッズの工場の様子で、8つの部分が連続した1列を同時に5列彫ることが可能な彫刻機械であり、〔図2〕は、装飾部分が機械で製作された1875年頃のテーブルである。つまり、機械化自体が直線的、平面的、非装飾的な造形の直接的要因とはいえず、そうした造形を肯定的に捉え、必要とする価値観、美意識が必要であったといえるだろう。機械化と機械化あるいは機械のメタファーとは区別する必要がある。この視点に立ち、本論は、機械化及びそれがもたらす大量生産と造形の関係について、社会背景との関係から考察する。日本のデザインにおいては、大正期、日清・日露戦争後の工業化の進展を背景に、大量生産への本格的な言及が始まる。その一人が、1920年前後から、家具生産における機械の使用と大量生産の必要性を述べた木檜恕一― 239 ―㉒ 木檜恕一の家具の大量生産論 ─大正期生活改善運動との関係から─
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