鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 241 ―しかった都市に居住する新中間層を改善の対象とした。大正5年(1916)の、橋口信助と三角錫子による「住宅改良会」、大正9年(1920)の経済学的視点から生活の欧米化を進めた森本厚吉の「文化生活研究会」と大正11年(1922)の「文化普及会」、そして大正9年の文部省外廓団体「生活改善同盟会」(注8)など、官民双方様々な団体が設立され、展覧会、講演会、出版物などのメディアを用いて活発な啓蒙普及活動が展開された。あらゆる生活上の事物が問題とされたが、日常生活というプライベートな部分を問題とし、生活を改善する方法を具体的に示したことで、社会に対する一つの大きな影響力となった。木檜は、この生活改善運動に深く関わっている。それは、生活改善同盟会の委員の一人だったからである。官側の推進母体であった生活改善同盟会は、大正8年11月30日から大正9年2月1日まで御茶の水の東京教育博物館で開催された文部省主催の「生活改善展覧会」を契機に結成された(注9)が、木檜は展覧会時に開催された講習会の講師を務め(注10)、同盟会においても住宅改善調査委員に就任している。住宅改善調査委員は、建築家、女子教育者などから成るが、家具関係は木檜のみであり、住宅の改善における家具の改善の方針は、木檜が主導して作成したといえる。生活改善運動における家具の改善は、重要な位置にあった。それは、西洋式の生活様式に転換する手段として、住宅においては、第一に椅子式の採用が掲げられたからである。椅子を始めとする洋家具の重要性が注目され、家具の改善が求められた。木檜は、生活改善運動における家具の改善について、経済的に制限がある中流階級向けの家具を製作するにあたり、価格を抑える必要性を挙げている。そして、これに対して、職人が一点一点製作する現在の生産体制を改め、機械を使用した分業組織とすること、さらに、その機械生産の意味は大量生産体制にあることを述べている(注11)。つまり、木檜の大量生産論は、生活改善運動にその背景があるということができる。これは、大正13年(1924)に出版された生活改善同盟会発行『住宅家具の改善』の「家具の改善」の項にある家具改善の方針のうち、「家具の供給方を成るべく大量生産の方法に依ること」「成るべく出来合家具の使用を奨励すること」としても表明されている。こうした同盟会の方針における大量生産への言及は、木檜の中流階級のための家具供給の考えが反映されているといえるだろう。2.家具の大量生産論の内容とアメリカからの摂取の特徴では、木檜の家具の大量生産論はどのようなものであっただろうか。それは、工場での分業による機械生産のため、部材の規格化を進め、品種、デザインを決めて、サ

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