鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 242 ―ンプルを作り、それをスタンダードとして量産し、供給にはカタログ販売を採用して、安価な家具を提供する、というものである。注文に応じて個々に異なるデザインの家具を製作していた当時の生産方式に対する意見であるが、大量生産に適した図案は、特殊ではなく、「一般日本人に適するものを速やかに決定すること」(注12)が必要だと述べている(注13)。木檜の家具の大量生産論の特徴は、生産技術的な側面だけではなく、こうした造形性にも言及している点にある。木檜の家具の大量生産論では、アメリカの生産・販売体制を例としている。アメリカは、元来、豊富な木材資源を背景に木材製品の生産高が高く、また、少ない労働力を補う役割も担って、19世紀も早くから木工機械が発達し(注14)、工場での機械による部品製作と手作業による組立を流れとする木製家具の量産体制がすでに主流であった(注15)。また、木檜が挙げるように、家具のメール・オーダー・システムが確立しており、各種家具が安価に供給されるシステムが成立していた〔図3、4〕。木檜は大量生産を「多数製作」「多数生産」と呼んでいるが、アメリカでのquantityproductionという呼称に対応もし(注16)、また、フォードのコンベアー・システムやテーラーの科学的管理法の知識があったことが窺われる記述もある(注17)。こうしたアメリカからの大量生産の知識と意義、方法の摂取は、同地でのさらなる実地調査に結びついている。木檜は、大正10年からの留学の目的を、椅子式家具を日本化するため、「近代文化生活の最も発達した米国に行つて、其勝れた科学的家具の研究と、それから民衆の為に廉く生産する多数製作の方法を研究して、我国中産階級者の為に、何うしたら其実生活に即する家具を、最も安価に提供する事が出来るか、之を十分に研究する」(注18)ことと述べており、アメリカでの調査目的が生活改善運動を背景とした家具の大量生産体制の研究であったことが分かる。実際アメリカでは、アメリカ家具産業の中心地であったシカゴ(注19)と全米一といわれる家具生産地であったグランド・ラピッズを訪問し(注20)、木工の機械生産、工場経営など、工業化の実際について詳しく調査を行っている。木檜がアメリカでの収穫として報告するのは、家具工場の規模、木材乾燥や運搬の設備、ベニアや曲木、研磨、塗装などの加工設備など、技術的側面や生産設備についてである。注目したいのは、こうした技術、設備についての詳細な報告にかかわらず、造形の点に触れられていないことである。アメリカでは、ヨーロッパにならった様式家具が主流であり、また、シカゴ、グランド・ラピッズとも、中流階級向け家具の生産が盛んであった。加えて、木檜がシカゴを訪れたのは、イギリスのアーツ・アンド・クラフツに影響を受けつつ、楢材と機械の使用を取り入れたグ

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