― 244 ―式を封建的で非合理的と判断し、西洋の生活様式を合理的だと見なしたからである。また、生活改善運動が普及の対象とした新中間層は、概して高等教育をうけた者たちであり、その教育とは西洋的知識に基づいていた。彼らの西洋的合理性を是とする知識と教養が、西洋式の生活様式を合理的とする視点を支持したのであり、新しい生活様式を受け入れる土壌を作っていたといえる。簡易性という要素も、実用性を重んじて装飾を虚飾と考える合理主義的考えが反映されているのであり、造形はその表現だったといえる。こうした合理性、簡易性という要素は、生活改善運動が始まった1920年前後から台頭した価値観、美意識であったと指摘できる。生活改善運動では、住宅や家具だけではなく、衣服やまた食事、社交儀礼に及ぶまで、合理的で簡易な方法が唱道された。例えば、住宅においては構造設備の虚飾を避けることや都市部での共同住宅が奨励され、贈答においてはその回数を減らすこと、服装においては婦人日常服の丈や幅を狭めることなどが挙げられている(注28)。また、大正2年(1913)には、明治38年(1905)に中村嘉寿訳で出版されたシャルル・ワグネル著『単純生活』(La vie simple)が文部省訳で刊行され、1920年前後には「簡易生活」をテーマとした書籍が多く出版されており(注29)、生活改善の思想のもと開かれた大正11年の平和記念東京博覧会の文化村では、「簡易住宅」が募集の対象となった。こうした合理性、簡易性に対する視点には、前代までを煩雑で非合理的として対抗する視点が明確である点が指摘できる。つまり、合理的で簡易であることは、時代の新しい価値観、美意識として提示され、認識された要素だったといえ、木檜の家具の大量生産論における造形は、こうした時代の価値観、美意識と連動したものであったのである。結び─生活改善運動からモダニズムへ以上、大正期の木檜恕一の家具の大量生産論について、その背景に同時代の生活改善運動を位置づけ、造形の在り方に、合理性、簡易性という新しい社会的価値観、美意識の出現と流布を指摘した。これらの考察から明らかになるのは、大正期の大量生産論が対象とした家具の造形を規定していたのは、機械や大量生産のメタファーより、社会的な動向に関係する価値観や美意識だったということである。このことは、木檜を始め当時の建築家、デザイナー達が、様式を否定せず、生活改善の思想に基づく造形もその時代の日本の家具の造形であり、変化するものとして捉えていたことにもうかがえるだろう。木檜がアメリカで調査した内容が大量生産の技術的な側面だったように、機械や大量生産は、その時代に必要とされるもの、造形を生産するための
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