注⑴Michael J. Ettema, “Technological Innovation and Design Economics in Furniture Manufacture”Winterthur Portfolio, Vol. 16, No. 2/3 (Summer - Autumn), Chicago: The University of Chicago Press,1981, pp. 197−223⑷O・マイヤー、R・C・ポスト「導入」オットー・マイヤー、ロバート・C・ポスト編、小林達― 245 ―手段だったのである。このことは、続く昭和期の大量生産と造形の関係を検討する上で、有益な視点となる。昭和初頭、デザインのモダニズムは、機械化や大量生産を造形上の一つの理念として掲げ、それによる生産自体を造形を規定する要素とした。大量生産が造形の理念であったがため、モダニズムでは様式は否定されるべきものであった。しかし、大正期に合理性や簡易性を肯定的な要素として得、大量生産とその造形が関係していたことは、機能や合理性を造形要素としたモダニズム受容の基盤となり接点を作ったと指摘できるだろう(注30)。このことは、西洋のデザイン思想を受容しつつも、自国の文化、習慣、意識の中で独自に展開を見せた日本の近代デザインの歴史を考察する上で重要な事実であると考えるのである。⑵ジョン・ヘスケット著、榮久庵祥二、GK研究所訳『インダストリアル・デザインの歴史』晶文社、1985、p. 56−67⑶木檜の生涯と業績については、森仁史「日本のモダン・デザインを繙く」松戸市教育委員会『デザインの揺籃時代展』図録、松戸市立博物館、1996年、pp. 109−115、同「家具デザインの黎明─木檜恕一の主張」同監修『叢書・近代日本のデザイン 大正篇 18 『家具の設計及製作』木檜恕一』ゆまに書房、2009年、pp. 461−465、同「家具の近代化とともに─木檜恕一の生涯」同監修『叢書・近代日本のデザイン 大正篇 27 『私の工芸生活抄誌』木檜恕一』同、pp. 349−354、生活改善運動における木檜の主張については、藤谷陽悦「木檜恕一の住宅近代思想−生活改善運動を中心とした椅子式生活像」内田青蔵『住宅建築文献集成 第4巻 木檜恕一『住宅と建築』』柏書房、2009年、pp. 529−558がある。也訳『大量生産の社会史』東洋経済新報社、1984年、p. 17⑸木檜の履歴については、木檜恕一履歴書(活字印刷)、木檜恕一『私の工芸生活抄誌』木檜先生還暦祝賀実行会、1942年、前掲注⑶森「家具の近代化とともに─木檜恕一の生涯」参照。⑹東京府立工芸学校での木材工芸科新設について、木檜は、おそらく日本で初めての名前だろうとしている。(前掲注⑸木檜『私の工芸生活抄誌』p. 80)⑺正確にはこれらの動向を呼ぶ生活改善運動という運動名称はないが、現在、1920年前後から活発となった生活改善の共通する意思をもつ動向として通称されているため、本論でもこれを用いる。⑻これらの住宅の改良運動については、内田青蔵『日本の近代住宅』鹿島出版会、1992年、pp.⑼生活改善同盟会、及びその住宅調査委員会については、『生活改善』1号、1921年4月、礒野さとみ「文部省外郭団体「生活改善同盟会」の設立経緯と設立活動の中心人物」『生活学論叢』2号、1997年8月、pp. 39−46、内田青蔵「わが国戦前期の住宅改善のバイブル『住宅家具の改71−128参照。
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