鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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■ 木檜恕一「米国に於ける最近家具界の概况」『木工と装飾』31号、1921年9月、pp. 16−19■ 前掲注⒀木檜「住宅家具の改良」■ 木檜恕一「文化生活と家具《其一》」『木工と装飾』26号、1921年4月、pp. 1−5■ 「歳末の辞」『木工と装飾』22号、1920年12月、p. 1■ 木檜恕一「簡易家具」『木工と装飾』22号、1920年12月、pp. 24−26■ 前掲注■木檜■ 「本会各種の調査会」前掲注⑼『生活改善』1号、pp. 26−41■ 安野彰「解題 『単純生活』」「解題 『簡易生活』」内田青蔵『近代日本生活文化基本文献集 別冊 解題』日本図書センター、2012年、pp. 45−58参照。なお、数社から翻訳が出版された『単純生活』は『簡易生活』としても刊行されている。■ 住宅及び家具について考察したものに、拙稿「最小限住宅とその室内設備に関する一考察」東京文化財研究所編『昭和期美術展覧会の研究 戦前篇』中央公論美術出版、2009年、pp. 411−440。& Company, 1984, pp. 232−247― 246 ―12、同「文化生活と家具《承前》」同27号、1921年5月、pp. 1−5など。70善』」『叢書・近代日本のデザイン 大正篇 20 『住宅家具の改善』生活改善同盟会 『生活改善の栞』生活改善同盟会 『新しい台所と台所道具』生活改善同盟会』ゆまに書房、2009年、pp. 431−435、同「生活改善運動の手引きとしての『生活改善の栞』」同、pp. 437−443等参照。⑽木檜恕一が作成したと思われる履歴書(活字印刷)には、大正9年1月24日とあるが、『読売新聞』大正9年1月30日朝刊には1月29日の講習会記事がある。なお、前掲注⑼礒野「文部省外郭団体「生活改善同盟会」の設立経緯と設立活動の中心人物」によると、生活改善講習会自体は、1月26日から1週間開催とある。⑾木檜恕一「生活改善の真義より見たる建築と家具」『木工と装飾』10号、1919年12月、pp. 2−⑿同上木檜「文化生活と家具《承前》」⒀同前掲注⑾木檜恕一「住宅家具の改良」『木工と装飾』13号、1920年3月、pp. 2−8など。⒁N・ローゼンバーグ「なぜアメリカに?」前掲注⑷マイヤー、ポスト編『大量生産の社会史』p.⒂ただし、デーヴィッド・ハウンシェル氏により、木工機械の発達という点では進化は少なく、1920年には木工業の科学的工学知識の欠如が述べられ、また、頻繁な流行の変化により大規模な大量生産体制は築かれなかったことが指摘されている(デーヴィッド・A・ハウンシェル著、和田一夫、金井光太朗、藤原道夫訳『アメリカン・システムから大量生産へ 1800−1932』名古屋大学出版会、1998年、p. 161、194)。⒃ハウンシェル氏は、mass productionという呼称は、1910年代終わりから確認でき、1925年頃から一般化されたとしている(前掲注⒂ハウンシェル『アメリカン・システムから大量生産へ1800−1932』p. 3、p. 435注⑷)。⒄前掲注⑾木檜「文化生活と家具《承前》」⒅前掲注⑸木檜『私の工芸生活抄誌』p. 58⒆1923年頃のシカゴ家具産業の状況については、The Chicago Association of Commerce AnniversaryCommittee on The Furniture, Household Utilities and Musical Industries of Chicago, Survey of theFurniture Trade, The Chicago Association of Commerce, 1925参照。⒇前掲注⑸木檜『私の工芸生活抄誌』p. 109■ Sharon Darling, Chicago Furniture: Art, Craft, & Industry, 1833−1983, New York/London: W.W. Norton

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