鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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の発展を支えたとも考えられるのではないだろうか〔図2〕。国立ナンシー美術学校の日本美術コレクションの形成とその内容ここで日本美術コレクションの形成とその内容について考えたい。まず、コレクション形成の時期であるが、美術学校に残されるコレクション目録(注28)から最初の日本美術品購入は1891年2月であることがわかる。本目録には、購入元(寄贈の場合には寄贈元)、目録番号、購入日、作品タイトル、購入価格、制作国の順で記録されている。この目録の他に、いくつかの購入品の領収書が残されており、当時の美術商の存在を知るには貴重な資料である。これらのコレクションの購入は、1891年から1909年の19年間に行われたことがわかる。既に1867年、1878年のパリ万国博覧会などを通じて、ジャポニスムがパリの多くのアーティストや愛好家を魅了したことを考えると、1891年に日本美術を蒐集し始めることは、遅れて地方に波及したジャポニスムを思わせるが、ここで着目すべきは美術学校という公立の教育施設がコレクションを開始したという事実である。ルーヴル美術館が正式に日本美術部門を創設したのが1893年であることを考えれば、ラルシェが1891年という時期に日本コレクションを美術学校長という立場で購入し始めたことは、当時のフランスとしては異例であったといえるのではないだろうか。ラルシェの決断に大きな影響を与えたのは1890年にパリの美術学校でジークフリト・ビング(注29)が開催した浮世絵の展覧会であった。本展覧会でビングはパリのコレクターたちの協力を得て725点の浮世絵を展示している。この展覧会には、ナンシー出身でラルシェとも親交のあったロジェ・マルクス(注30)も開催に寄与しているのみならず、日本の浮世絵に関する記事を執筆しており、その中で本展覧会の役割を以下のように書き残している。「無意味な西洋の伝統的構成やシンメトリーを放棄させ、芸術的な作品を創造し、夢幻を実現するというナイーブな喜びを、率直に表現する日本の木版画の魅力を生徒たちに学ばせることはできないだろうか。(注31)」パリの美術行政の検査官などを歴任しながら、地方の美術行政の革新にも力をいれたマルクスのこの発言は、ラルシェに装飾教育における日本美術の可能性を確信させたのではないだろうか。実際に美術学校のコレクションの九割以上は浮世絵や絵手本などの木版画である〔図3〕。本コレクションの特色は、『北斎漫画』のようなヨーロッパにかなり流布していた版本のみならず、幸野楳嶺、今尾景年、菊池芳文、古谷紅麟などの明治前半に京都画壇で活躍した画家による図案集が多く所蔵されていることである〔表1、図4、図― 16 ―

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