鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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もある(注6)。手仕事や「プリミティブ」なイメージを喚起する手形と工業製品を自己像のうちに混在させるこの作品のタイトルは、この作品を顔として、ベルを「目」、ボタンを「口」とみなすことを可能にする。また、このポートレートにおけるベルを造形の相似性から女性の「胸」、このベルの解釈を踏まえて下部のボタン部分を「女性器」としてそこに女性の身体を見出せるとすれば、この作品もまた、ニューヨーク・ダダの男性芸術家たちが自らのアイデンティティの表象において新たに導入したとされる3つの要素、「機械的構造」「女性性」「プリミティヴィズム」を備えているといえよう(注7)。1917年に入ると、マン・レイの作品において、オブジェやアッサンブラージュの占める割合が増加して行く。1920年に制作された《男性》〔図4〕および《女性または影》〔図5〕は、以後のマン・レイの主たる表現手段であり続けた写真による初期の作品であり、彼のレディ・メイドへの取り組みにおける足がかりとして、ニューヨーク・ダダ期のレディ・メイド作品に位置付けられている(注8)。オブジェと影による効果を用いたふたつの作品において、《男性》には卵の泡立て器が用いられ、《女性または影》は暗室で使われる反射板2つ、ガラスの細長い板、その片側に付けられた洗濯バサミ6つ、が組み合わせられている。公私の場の差こそあれ、いずれも日常に存在する道具を用いて「人間」を表したもので、その影をも含めた形態において、《男性》はファルスを想起させるものとして男性身体に結び付けられ、《女性または影》における上部のふたつの半球状の構造とその影は乳房を想起させ、反射板の片方の開口部は女性器の解剖学的メタファーとして、女性身体に結び付けられている(注9)。また、このふたつの作品については、展示やプリントの際にタイトルの「男」「女」が入れ替えられたことが確認されている(注10)。このタイトル入れ替えにより、「女性と泡立て器」「男性と反射板」というタイトルと作品中のオブジェとの社会的なジェンダー関係─すなわちキッチン用具としての泡立て器と女性性、仕事道具としての反射板と男性性─が回復される一方で、新たなタイトルのもとでこの作品が別の性的アイデンティティを獲得することは容易ではなくなる。《女性または影》においては、反射板のフォルムに一旦焦点があてられ、女性性と結び付けられると、タイトル入れ替え後にタイトルと作品との結び付きが絶たれた際、作品における性的アイデンティティの齟齬が強調される。この作品のタイトル入れ替えの意図は現時点では確認できていないが、その効果について考えるとき、《男性》と《女性または影》におけるパフォーマティブな性の移行が作品の両性具有的特徴を顕在化させることが確認できる。とりわけ、オブジェの帰属する文脈の混在や逆転によって性的なアイデンティテ― 252 ―

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