鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 261 ―キリスト教以外の主題を眺めてみよう。14世紀前半頃から描かれるようになった著名人たちを集めて並べた壁画には、ソロモン王を描いた作例が見られる。アレッツォ近郊の町ルチニャーノの市庁舎のホールには三人一組で著名人たちが描かれ、この中にソロモン王も描かれている。しかしソロモン王と並ぶ人物像は、アリストテレスと旧約聖書のユディトである〔図5〕。先行研究で述べられる通り、《天国の門》以前のイタリアでは「ソロモン王とシバの女王の会見」も、さらには旧約に記述されるシバの女王自体も見出すことはできないようである。先行研究と問題の所在《天国の門》のプログラムに関わった人物として、フィレンツェの人文主義者でカマルドリ修道会総長のアンブロージョ・トラヴェルサーリ(1386−1439)やニッコロ・ニッコリ(1365頃−1437)の名が挙げられる(注4)。レオナルド・ブルーニ(1370頃−1444)が、注文主である毛織物取引商組合へ提案した計画案が残っているがこの案は実行されなかった。ブルーニの計画案でも最後の主人公はソロモン王だが、その主題は「ソロモンの審判」であった。『貧者の聖書』では「最後の審判」の予型として描かれることから、旧約サイクルの最後の場面として相応しい選択といえよう。それではなぜソロモン王のパネルに、「ソロモンの審判」ではなく「会見」場面が選択されたのであろうか。先行研究では《天国の門》の「ソロモン王とシバの女王の会見」場面は、15世紀初頭の教会政治に関わる宿願が、聖書解釈と織り交ぜられて象徴的に表されていると解釈される。つまりソロモン王をラテン教会、シバの女王をギリシア教会とみなした東西教会の和解である(注5)。1439年、フィレンツェでは東西教会再統一公会議が開催され、合同宣言が出された。クラウトハイマーによれば東西教会の再統一はオスマン・トルコの脅威に揺らぐビザンティン帝国の支援を名目としていたが、最終的な目的は東方教会を西方教会に服従させることにあった。さらにはローマ教皇が東西教会の再統一という大事業を成功させることで、ラテン教会内の長い分裂によって弱まった教皇の優位性を復活させる目的もあった(注6)。神学教育を受けた当時の人々にとって《天国の門》の「会見」場面は、東方教会と西方教会の和解の寓意として理解することができたかもしれない(注7)。しかしそれまでイタリアにはなかった図像がある寓意を持つためには、そこに至る段階的な過程が必要ではないだろうか。

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