鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
273/620

― 263 ―て女性の伝記を集めた著作『名婦列伝』(De mulieribus claris 1360年頃 )を著していた(注18)。これはキリスト教徒だけではなく異教徒の讃えられるべき女性も含まれ、シバの女王はエチオピアの女王ニカウラとして登場している(注19)。シバの女王と『名婦列伝』との関連を考える上で手がかりとなるのが、カルタゴ女王ディドである。オルシーニ邸に描かれたディドは剣の上に身を投げ出している。ウェルギリウスはディドをアイネイアスとの恋に破れて自ら死を選ぶ女性として語ったが、ボッカッチョは最初の夫に貞節な女王として記し(注20)、その美徳のためにディドは著名人たちと共に並ぶことができるのである。ボッカッチョの『名婦列伝』はウェルギリウスに代わり、ルネサンス期の芸術家とパトロンたちに、生き生きとしたヒロイン像を提供したのである(注21)。オルシーニ邸のシバの女王の直接的な源泉を、ボッカッチョの『名婦列伝』と特定することはできないが、旧約サイクルに描かれることのなかったシバの女王が《著名人伝》サイクルへ登場する契機として考えてよいのではないだろうか。ソロモン王とシバの女王の解釈オルシーニ邸の壁画《著名人伝》の中のソロモン王とシバの女王は、どのように解釈されるべきであろうか。この点を考察する上で、オルシーニ邸に描かれた著名人のうち、29%がローマに関わる人物(注22)であることに注目したい。ソロモン王とシバの女王が含まれる第四世代には、ローマの景観図と共に牝狼に育てられたロムルスとレムスが描かれている〔図9〕。景観図にはサン・ピエトロ大聖堂やサンタ・マリア・イン・アラコエリ聖堂など、同定できる建築物が城壁内にひしめいている(注23)。現在のローマの景観図にロムルスとレムスが共に描かれることで、古代から現在のローマへと歴史が連続していることが強調されるだろう。このほかローマ建国にまつわるアイネイアスは第三世代に登場し、手にはローマの紋章である鷲が描かれた盾を持つ〔図10〕。鷲を描いた盾は、第六世代のユリウス・カエサルも手にしている〔図11〕。ここでもアイネイアスからユリウス・カエサルまでの連続性を強調しているように思われる。1400年代初頭、公会議と教皇庁との対立が続き、教皇が鼎立する時代が続いた。この時期のオルシーニ枢機卿の最も重要な課題は、ラテン教会の分裂の終結と教皇のローマ帰還であった(注24)。オルシーニ邸の壁画《著名人伝》で強調される「ローマ」は、かつての「世界の首都」ローマの勢力を、ローマ教会の権威へと変換し、教皇庁がローマにある正当性を示そうとするオルシーニ枢機卿の意思と考えられる(注25)。

元のページ  ../index.html#273

このブックを見る