― 264 ―さらに第六世代に描かれるニコラウス三世(在位1277−1280)とボニファティウス八世(在位1294−1303)の存在は〔図12〕、ローマ教会の首位性を唱えるオルシーニ枢機卿の立場を示すものと捉えられている(注26)。オルシーニ家出身のニコラウス三世は、フランスやドイツの世俗の君主たちを説得して教皇領への領有権拡大を阻止、彼らの権力を抑えることに成功した。ボニファティウス八世は、教皇と世俗権力者との対立が悪化した時期、「唯一の教会と一人の指導者」を強調して教皇権の優越性を宣言した勅書『ウナム・サンクタム』を発した。このほか三人の教皇たちが描かれ、いずれも異民族の侵入による危機からローマを救い、世俗の君主の勢力を抑えて教皇権の首位性を主張した教皇たちである。世俗の君主を中心とする公会議主義者との対立関係、オスマン・トルコの脅威、そして東西教会統一問題に直面していた教皇の側近オルシーニ枢機卿の立場を考えるならば、これらの教皇が《著名人たち》の壁画に含まれる理由を説明できるだろう。ソロモン王の図像に戻ろう。ルチニャーノの市庁舎に描かれたソロモン王は本を手にしていた。これはソロモン王の賢明さを示しているだろう。一方オルシーニ邸の壁画では右手に神殿のひな形を掲げている。これはソロモン王の神殿建設者としての役割を強調していると考えられる。ローマでは中世からすでに、ソロモン神殿とサン・ピエトロ大聖堂の関係性に関心が向けられていた。旧サン・ピエトロ聖堂の全体の寸法や構造、意匠の要素は聖書の中のソロモン神殿の記述に一致し、祭壇前の二重螺旋の柱はかつてエルサレム神殿にあったものと考えられていた(注27)。そのうちの1本は「聖なる柱」として、1438年の年記とオルシーニ枢機卿の名、そしてキリストが説教のときにもたれかかったソロモン神殿の柱である旨が刻まれた八角形の大理石の欄干に囲まれている(注28)。聖なる柱をローマのサン・ピエトロ大聖堂に据えることで、目に見える形でエルサレムとローマをより一層結び付けることになった。ソロモン神殿をサン・ピエトロ大聖堂の原型と見なすことは、旧い律法つまり旧約聖書によって権限を与えられた神殿から、ローマ教皇庁への権威の移行の正当性が強調されるのである(注29)。「ローマ」が強調された《著名人伝》のソロモン王もまた、エルサレムとローマ、ソロモン神殿とサン・ピエトロ大聖堂を結び付ける役割を持つことになる。『列王記上』10:6−9に記されるように、シバの女王のソロモン王訪問の図像は、異教徒のシバの女王が示す王への恭順を「ローマ」も受けることを期待した図像として見ることが可能ではないだろうか。
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