― 273 ―(1)杜甫「黄草」断簡(2)杜甫「洗兵馬」断簡なお、文献の記載のみ確認できた断簡は、実際の作品の様子がわからないため、真偽も不明である。一方、図版または実物を実見できたものでも、更に真偽の検討を要するものが含まれている。ただ、真跡以外のものでも、真跡の語句や形式をそのままに写した類のものと、全くの偽作の二種があろう。前者の場合、筆跡などから張即之の真跡とは認められなくとも、張即之の作品が日本に伝来した根拠としての資料的価値を有することから〔表〕に残し、「断簡の文字」の欄に※を付した。以下、〔表〕の断簡について、本調査によって特定された詩文ごとに詳述する。〔表〕の@2−01(〔図@2−01〕参照)智積院蔵の「濕羅衣莫愁劔閣終堪據」断簡は、日本伝来の最も著名な大字のひとつで、以下の杜甫「黄草」の詩の 線部にあたるものである。黄草峽西船不歸。赤甲山下行人稀。秦中驛使無消息。蜀道兵戈有是非。萬里秋風吹錦水。誰家別涙濕羅衣。莫愁劔閣終堪據。聞道松州已被圍。(注9)〔表〕の@2−02(〔図@2−02〕参照)「已喜皇威清海岱常思仙仗過崆峒」(円光寺蔵)も、日本伝来の最も著名な断簡のひとつで、次頁の杜甫「洗兵馬」の詩の 線部である。また、今回新出の@2−03(〔図@2−03〕参照)弥彦神社蔵の手鑑『見ぬ世の友』所収の「成王功大」断簡と、@2−04(〔図@2−04〕参照)江月宗玩『墨蹟之写』に記載の「成王功大心轉小郭相謀」は、文字が重複しているが、ともに「洗兵馬」の断簡であると判明した(詩の 線部)。本来は同一のもので、『墨蹟之写』に記載の元和3年(1617)9月2日、瀧川豊前守が持参した時には、10字の断簡だったが、後に切断され4字の断簡になったと考えられる。また、@2−05(〔図@2−05〕参照)白鶴美術館蔵の『手鑑』所収の「深古来少」断簡も「洗兵馬」の一部で、@2−04の後に続く断簡である(詩の 線部)。筆跡の上でも、私は@2−02、@2−03、@2−05は、文字の結構、線の太細の妙、掠(左はらい)の運筆や渇筆のあらわれ方、点画から点画へと書き進む際にあらわれる細線などが共通し、張即之書法の特徴がよくあらわれた同筆かつ真跡の作品群と判断する。更に、想像を逞しくして、@2−06(〔図@2−06〕参照)、@2−07(〔図@2−07〕参照)も、同じ「洗兵馬」の断簡の可能性があることを指摘したい。まず、@2−06は、根津美術館蔵の手鑑『文彩帖』所収の断簡で「甕」の1字のみであるが、『全唐詩索引 杜
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