― 280 ―(15)「息心銘」断簡身許麒麟畫。年衰鴛鷺群。大江秋易盛。空峽夜多聞。徑隱千重石。帆留一片雲。兒童解蠻語。不必作參軍。〔表〕の@3−04(〔図@3−04〕参照)の「一伎一能日下孤燈澄遠逾極端坐樹陰 即之」は、江月宗玩『墨蹟之写』の元和9年(1623)の項に記された断簡で、当該断簡の現存は確認できなかった。「即之正筆ニテハ有ましき由、申遣也」とあり、江月宗玩は真跡とはみなしていない。内容は「息心銘」のうち以下の 線部であるが、9字目の「澄」は「息心銘」の本文には見られない。「息心銘」は、淳祐元年(1241)9月17日、張即之56歳の書になる石碑が中国の山東省城武に現存し(注10)、清時代の孫星衍『寰宇訪碑録』巻9にも記されている。また、葉昌熾『語石』巻7によれば、焦山にも大字の「息心銘」があったという。更に、楊賓『大瓢偶筆』巻6「論各帖」には、海昌の陳息園珍蔵の法帖『秀餐軒帖』四巻に張即之筆「息心銘」が刻入されているとの記載がある。このように、仏教に傾倒した張即之は「息心銘」を好んで書き、その存在は後世まで知られていたのだろう。なお、山東省城武の「息心銘」は、張即之の現存作品の中では、林柏壽氏蘭山千館蔵「觀無量壽佛経」(淳祐元年6月1日書)に次ぐ初期の作品で、書風も後の完成されたものとは異なり、未だ流れるような運筆や、張即之独特の文字の結構も完成していない。もしこのような初期の「息心銘」が日本に伝来していれば、江月宗玩も真跡とは見なし得なかったかもしれない。あるいは『墨蹟之写』記載の断簡は、張即之の真跡または拓本をもとに書かれた写しの可能性もあろう。よって、張即之筆「息心銘」は何らかの形で日本にも伝来していたものと推測される。法界有如意寶。人焉久緘其身。銘其膺曰。古之攝心人也。戒之哉戒之哉。無多慮無多知。多知多事不如息意。多慮多失不如守一。慮多志散知多心亂。心亂生惱志散妨道。勿謂何傷其苦攸長。勿言何畏其禍鼎沸。滴水不停四海將盈。纖塵不拂五嶽將成。防末在本雖小不輕。關爾七竅閉爾六情。莫見於色莫聴於聲。聞聲者聾見色者盲。一文一藝空中小蚋。一伎一能日下孤燈。英賢才藝是為愚蔽。舎棄淳朴耽溺淫麗。識馬易奔心猿難制。神既勞役形必損斃。邪行終迷修途永泥。莫貴才能日益惛瞢。誇拙羨巧其德不弘。名厚行薄其高速崩。內懐憍伐外致怨憎。或言於口或書於手。邀人令譽亦孔之醜。凡謂之吉聖謂之咎。賞翫暫時悲哀長久。畏影畏跡逾遠逾極。端坐樹陰跡滅影沈。厭生患老隨思隨造。心想若滅生死長絕。不死不生無相無名。一道虛寂萬物齊平。何貴何賤何辱何榮。
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