― 281 ―何勝何劣何重何輕。澄天媿浄皎日慚明。安夫岱嶺同彼金城。敬貽賢哲斯道利貞。なお、〔表〕の@2−20、@2−21、@2−22、@2−23、@3−05は、内容が特定できなかった。また、〔表〕の*−02「…日書于樗寮 即之」は、前掲の角井氏論文に記載された4行7字分の款記の断簡だが、図版および断簡を実見することができなかった。なお、これによく似た内容の断簡に〔表〕の*−03梅沢記念館の手鑑『あけぼの』所収の「人日書于樗」があり、これは明らかに張即之とは別筆であるが、*−02、*−03の間には何らかの関係があるだろう。もし*−02が真跡であるならば、*−03は、*−02が切断される前の真跡から写された可能性もあろう。おわりに今回の調査では、以上15の詩文を書いた張即之の断簡が確認された。現在では断簡となっているが、本来はこれら断簡の前後にあたる詩文の全体が書かれた長大な巻子が日本にもたらされていたはずである。勿論、張即之が詩文の一部を抄出して書いた可能性も考えられるが、その場合においても意味の通る範囲での抄出であるだろう。なお、ここにあげた作品全てが真跡ではないかもしれず、更なる検討を要するが、何れにせよこれらと関わりのある張即之の真跡が日本に伝来していた証左にはなろう。すると、中国に現存するよりもはるかに多くの大字作品がかつて日本にあったことになり、鎌倉時代以降の日本人が張即之の書から影響を受け得る環境は、日本国内にも充分にあったということになろう。なお、個人蔵の断簡、および「手鑑」所収の断簡の調査は、その情報収集や作品の追跡が難しく、今回の調査においても確認できなかった断簡が、今後まだまだ出現する可能性を多分に感じた。今後もこの調査を継続して行っていきたい。近年の張即之の研究は中国の研究者により進展をみてきたが、日本伝来の断簡、特に「手鑑」所収の断簡や、日本における張即之の受容史に関する研究は、日本の研究者こそが行い得るテーマであり、今後も更に研究を深めていきたい。本研究にあたり、「手鑑」所収の張即之断簡について情報をいただきました都留文科大学名誉教授の久保木哲夫先生、また作品の情報や、実見の機会をいただきました皆様、作品掲載を御許可いただき、図版を提供いただきました関係の各機関の皆様に心より御礼申し上げます。
元のページ ../index.html#291