3 勝川派の他の絵師との比較〔図6〕の作画期としては、花頂山を名乗りはじめた寛政6年と考えられる。当時の勧進相撲の階級は現在と異なり十両が存在せず、幕内のすぐ下は二段目であった。このため幕下力士であっても二段目であれば幕内力士との対戦が組まれており、錦絵に関しては二段目のさらにひとつ下の階級である三段目の力士を描いた作品も散見される。以上の検討を総合し、春朗期の相撲絵4点の制作時期について〔図3〕・〔図4〕は天明4年(1784)前後、〔図5〕・〔図6〕は寛政5年(1793)から同6年までと推定する。天明期から寛政期にかけては、勝川派によって相撲絵の典型となる人物描写が確立された時代にあたる。春朗期は勝川派の様式に忠実な時代と称されるが、〔図3〕~〔図6〕の力士描写に検討を加えるため、同時代の他の絵師による相撲絵と比較しその特徴を明確化したい。〔図3〕・〔図4〕の作画期と考えられる天明4年前後に勝川派で相撲絵を描いていたのは、春章、春好、春英、そして春朗である。取組図は春章が相撲絵を手がけはじめた天明初年から描かれているものの、相貌および体躯の描写が安定したのは天明3年以降である。この時期、春章・春好は相撲絵の様式を確立し多様な構図による作品を描いているが、春英の作風に注目すると天明期は春章・春好の様式にほぼ忠実に倣う画風を呈しており、自身の様式形成は寛政以降試みられた観がある。〔図7〕は春章、〔図8〕は春英によって天明3~4年頃描かれた細判による取組図である。力士の相貌に明確な描き分けがある一方で、体躯、特に腕や脚に筋骨を強調した特有の様式化が認められる。また、硬直した表情や、腕および脚の直線的な表現から、作品全体に硬質な雰囲気が漂う。天明4年に描かれた〔図9〕の春好の作品では片方の力士が横を向き、〔図7〕・〔図8〕に比べ動感のある体勢で捉えられているが、右に描かれた宮城野の、腰を引き、脚の開きが狭く膝を曲げた姿勢は力強さに欠け、左の筆の海の左手は宮城野を掴むことなく開かれたままであるなど、実際の取組時に見られる体勢としては幾分不自然な構図で描かれている。これに比べ、春朗による〔図3〕および〔図4〕は、しっかりと腰を落とした体勢でがっぷりと四つに組み合う様子が捉えられ、取組中の膠着時にみせる力士の様子が臨場感をもってあらわされている。〔図3〕では片方の力士がもう一方の力士の肩に顎を乗せ、〔図4〕では力士の肩に乱れた髪がかかるなど現実的な場面描写が試みられたためか、全ての力士の顔― 290 ―
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