注⑴「北斎展」カタログ 日本経済新聞社、2005年、303頁⑵楢崎宗重氏による『北斎論』(アトリエ社、1944年、85頁)には本論で取り上げた4作品のほか、細判による盤井川逸八と雷電為衛門の作品が春朗期の作品として挙げられている。「山伝版」の版元印をもつことから、盤井川と雷電の活動期を鑑み〔図5〕・〔図6〕と同様の体裁をもつ同時期の作と推定されるが、本書には作品の図版や所蔵先の記載はなく、それ以降の北斎に関する文献にも管見の限り詳細は記されていない。⑶永田生慈『葛飾北斎』吉川弘文館、2000年、12頁⑷前掲注⑶ 22-26頁⑸合羽刷りとは延享(1744-1748)初め頃から上方で特徴的に用いられた摺りの技術で、彩色に描写の習得上重視するべき画題と捉えていたことを示すものと思われる。型紙と刷毛を用いる、現在の型染めのような技法に特徴がある。⑹大久保範子「勝川春章の初期相撲絵における写貌表現の研究」『浮世絵研究』第1号、太田記念美術館、2011年⑺大田南畝著、仲田勝之助編校『浮世絵類考』岩波書店、1941年、118-119頁⑻本稿では相撲博物館が所蔵する当時の番付および勝負附のほか以下の文献を参考にした。飯田昭一編『史料集成江戸時代相撲名鑑』日外アソシエーツ、2001年、『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年⑼雷電為右衛門『諸国相撲控帳』壱、渡邉一郎監修、小島貞二編『雷電日記』所収、ベースボールマガジン社、1999年、46-47頁⑽永田氏によれば、北斎の弟子は現在知られる北斎門人と孫弟子を含めると約200人に及んだとされ、絵手本制作の理由として以下の3点を挙げている。①地方にも相当数いた弟子たちの教習本 ②門人以外へ向けた北斎画風の普及のため ③各方面の職人たちの下図制作へ向けた図案集(永田、前掲注⑶、135-140頁)⑾楢崎宗重編『在外秘宝:欧米収蔵浮世絵集成[4](葛飾北斎)』学習研究社、1972年⑿井上和雄『浮世絵師伝』渡辺版画店、1931年、178頁― 293 ―
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