20手として持物の確認できない左手(第1指と第2~4指を捻ず)と右の施無畏手を対応させて表記している。左右で手の数が異なるのは珍しい。頂上化仏手、合掌手、宝鉢手をそれぞれ2手であらわす。なお、本作例は版本であるためか、持物の細部の省略がままみられる。頂上化仏も、a本では大小の円形を重ね、その輪郭を縁取ったような光背をあらわすのみである。〔表2〕に右第5手「化仏ヵ」とあるが、この持物は逆三角形と円形2つを重ねたような形をあらわしており、それのみで化仏と判断するのは難しい。しかし、対応する左第5手が宮殿手であり、他の作例で化仏手と宮殿手が相対する位置にあらわされる例が非常に多いことを考慮するならば、本作例の右第5手の持物も化仏である(あるいは粉本では化仏であった)可能性が高いと思われる。⑷ 東京国立博物館本(鎌倉13世紀)〔図4、表4〕左右各21手で、頂上化仏手、合掌手をそれぞれ2手であらわす。右第2手が化仏手である。本作例には宝鐸が右第4手および左第12手にあらわれている。左第12手は背の低い鐸形に描かれるが、右第4手は金剛鈴である。宝鐸が金剛鈴のかたちであらわされる作例は多く、「金剛鈴」と表記する経典もある〔表13〕。一つの作例に、金剛鈴と鐸というかたちの異なる2種類の宝鐸がともにあらわされる例は、本稿で扱う作品中にも、⑸天永寺護国院本、⑹個人蔵本に認められる。錫杖手が右手、宝戟手が左手であるのも比較的珍しい。なお本作例には、宝鉢手があらわされていない。⑸ 愛知・天永寺護国院本(鎌倉14世紀)〔表5〕左右各21手で、頂上化仏手、合掌手、宝鉢手をそれぞれ2手であらわす。化仏手があらわされない。宝鐸手を2種類(左第12手が金剛鈴、左第16手が鐸)あらわす。⑹ 東京・個人蔵本(鎌倉14世紀)〔表6〕左右各21手で、頂上化仏手、合掌手をそれぞれ2手であらわす。右第5手が化仏手である。宝鐸手が2種類(左第8手が金剛鈴、左第13手が鐸)あらわれている。⑺ 滋賀・求法寺本(鎌倉14世紀)〔表7〕左右各21手で、頂上化仏手、合掌手、宝鉢手をそれぞれ2手であらわす。右第2手― 299 ―
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