そして、1手による化仏手を片方のみにあらわす作例の中では、⑾鶴満寺本を除き、他8件全てにおいて、化仏手は右にあらわされ、それに相対する左手に宮殿手があらわされている。千手観音の持物を左右どちらの手であらわすか、あるいは左右で対となる手の組み合わせについても、ある程度定まっていた可能性があろう。なおこのことは、化仏手と宮殿手だけに限らず、また清水寺式に限ったことではない。概して、日輪と月輪、羂索と数珠、錫杖と宝戟、鉞斧と宝鉤、胡瓶と軍持など形状が類似している持物、宝印と宝鏡など同様の持ち方をする持物、あるいは宝弓と宝箭といった意味上で対応する持物が、左右で相対してあらわされる傾向を、作例から看取できる。二 文献にみられる四十手の左右配置千手観音を説く経軌には、四十手の左右の配置について記したものがある。伽梵達摩訳『千手経』の異訳抄出本である不空訳『千手千眼觀世音菩薩大悲心陀羅尼』(以下『千手陀羅尼』)は、『大正新脩大蔵経』本に各手の図を載せており、それらの図から持物・印相を左右どちらの手であらわすものと意識されていたか参考になる。三昧蘇嚩訳『千光眼觀世自在菩薩秘密法經』(以下『千光経』)や、不空訳『攝無礙大悲心大陀羅尼經計一法中出無量義南方滿願補陀落海會五部諸尊等弘誓力方位及威儀形色執持三摩耶幖幟曼荼羅儀軌』(以下『補陀落海会軌』)にも各持物・印相の左右の別が説かれており、これらを表にまとめた〔表13〕。表に記す各手(持物)の名称は経軌の記載に依るが、煩雑を避けるため常用漢字で表記した。〔表13〕で確認すると、『千手陀羅尼』では2手であらわすものがみられない。一方、『千光経』では、2手であらわすものとして、34合掌手のほかに、3宝鉢手、10宝弓手、そして39頂上化仏手とする。頂上化仏手は、他の2種の経軌がそれぞれ頂上化仏を片手で執るものとするのに対し、『千光経』では「二手拳頂上安置化佛」(注4)と説く。「拳」の字は「挙」あるいは「奉」の錯簡かと思われるが、2手を頂上にあげて化仏を安置するという、所謂清水寺式の頂上化仏手と同じ形姿が説かれている。すなわち、これまで経軌に依らないとされてきた清水寺式であるが、その典拠となる経典として『千光経』を挙げることができよう。ちなみに、『千光経』では偈文の部分(注5)にも、四十手の左右の別をあらわす記述がみられる〔表14〕。当該部には、左定持日輪 右惠淨月輪 左理持宮殿 右智五色雲 (後略)と、左と右の手がおよそ上方に位置するものから順に記され、各手の左右の別だけで― 301 ―
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