なく、左右でどの手が対応するのかについて説かれる。これによると、頂上化仏手は右手で執り、それに相対するのは化仏手である。実作例においても、清水寺式でない場合、二つの化仏手を左右で相対するように配置することが多い。ちなみに、先にみた同経の本文の部分には頂上化仏手は二手を挙げて執るものとされていたから、同じ経典の中で異なった説が述べられていることになる(注6)。ところで、千手観音の脇手の左右の相対関係とその意味について述べた文献に、定深(11世紀後半~12世紀初め)(注7)の著した『千手形像四十手相對義』がある。同書は『諸宗章疏録』巻三の清水寺定深の著作中「觀音四十手左右相對義」として挙げられるものとみられ、写本が東寺観智院に蔵されている。『諸宗章疏録』によれば、同書の他にも千手観音に関わる彼の著作が「觀音四十手釋一巻」など合わせて4件あり、清水寺本尊の千手観音像への造詣も深かったものと想像される。『千手形像四十手相對義』の冒頭には、世有二像一像以寶鉢安二掌當齋輪以頂上化佛置一手不擧頂上(中略)一像以鉢置一手不當齋前擧二手於頂上置化佛大唐諸師以第二像最寫當理(中略)其左右相對如前第二像頂上化佛用二手寶鉢用一手最為相應とあり、鉢を2手で執り腹前にあらわし、化仏を1手で執り頂上に挙げないタイプと、鉢を1手で執って腹前には置かず、2手を頂上に挙げて化仏を執るタイプ、の2種の千手観音像が世にあること、さらに、大唐の諸師が、第二像すなわち2手を頂上に挙げて化仏を執るタイプの方を最も教理を写すものとしていると述べる。そして、左右手の相対も第二像のタイプが最も相応するという。上述の2タイプの千手観音のうち、定深は、2手を頭上に挙げて化仏を執る所謂清水寺式の方が正当であると主張しているように読み取れるが、そこには定深が清水寺に深く関わった僧であるという背景も関係しているものとも考えられる。『千手形像四十手相對義』による左右手の相対については〔表15〕を参照されたい。同書は、頂上化仏手と蓮華合掌手とが相対関係にあると解する。また、化仏手(右手)と宮殿手(左手)とが相対するものとして記されており、これは実作例においても清水寺式のほとんどが、右に化仏手、それに相対する左に宮殿手があらわされるのと合致する。前述したように、左右手の組み合わせは、持物の形状の類似によるところが大きい。しかし『千手形像四十手相對義』では、例えば宝釼(宝剣)と榜棑を「冥顕の相対」とし、魍魎(形が無いので「冥」)を降す宝釼を左、悪獣(形があるので「顕」)を遮する榜棑を右、というように意味上での相対を述べる。他にも、同書には鐸と印とを― 302 ―
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