鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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「境智の相対」とし、音声(境)の標である鐸が左、口弁(智)の標である印が右、などと記される。実際の作例においては、通常、宝印と宝鏡とが相対してあらわされることが多いが、⑴ボストン美術館本では、『千手形像四十手相對義』の記述と同じく、右手に宝印、左手に宝鐸という相対配置が第22手に認められる。なお⑺求法寺本にも、右宝鐸手、左宝印手の相対が第20手にあらわれている。また通常の作例において、宝剣は長いという形状から鉞斧や宝鉤と対応する傾向が強く、あるいは武器という性格から独鈷杵と対応することもある。しかし、⑴ボストン美術館本では、第8手に宝剣と傍牌との相対が認められ、『千手形像四十手相對義』の説と合致している。さて、『諸宗章疏録』に挙げられている定深著『觀音四十手釋』一巻は、その割注に「按。高山録云四十手深要決義」とあるが、この『四十手深要決義』の写本も東寺観智院に二本所蔵されている。本書は千手観音の四十手それぞれの解釈を記したものである。頂上化仏手に関する記述を確認するならば、頂上化佛者灌頂授記之義也 是故行者従師獲灌頂時依此本部戴蓮花々中安化佛像作説法相既蒙印可已ママ 即誦陁羅尼即得授記 是故經説觀音兼為行人授記言成佛不久〔云ヽ〕(〔 〕内は割注。以下同様)(注8)と、頂上化仏が灌頂授記の意味をもっており、行者が師に従って灌頂を獲る時、蓮華蔓を戴き、蔓の中に説法相の化仏像を安じて印可を蒙り、陀羅尼を誦すことで授記が得られ、これ故に、経に観音が行者に成仏が遠くないことを授記すると説かれる、とある。もとより『千手経』に「若爲十方諸佛速來摩頂授記者。當於頂上化佛手。」(注9)とあるように、頂上化仏手は十方諸仏による摩頂授記をあらわすものと説かれている。『四十手深要決義』においてもそれを承け、頂上化仏が行者の灌頂授記と関わるものとして捉えられていることが分かるが、これとほぼ同じ内容の文が、澄円(1218~84?)撰『白寶抄』「千手觀音法雜集上」の頂上化仏手の項に「述秘云」として載せられている。そこには上掲文にない内容として、行者作念誦呪時彼化佛舒手摩頂爲授記言如經言觀世音爲行者使記言成佛不久(注10)と、頂上化仏が手を舒べて、陀羅尼を念誦する行者を摩頂して授記する、との内容が記されている。ちなみに、同書には「頂上化佛〔左右〕」とあるから、頂上化仏手を2手であらわすとされていることがわかる(注11)。上述のように頂上化仏手の功能は『千手経』に摩頂授記と説かれるが、ここではさらに、千手観音の頂上化仏自らが摩頂を行う存在として捉えられていたことが窺える。清水寺式という頂上化仏の存在の際立つ表現は、大悲心陀羅尼を誦す行者の摩頂授記を強調するものであった可能性― 303 ―

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