鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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注⑴ 『特別展 西国三十三所 観音霊場の祈りと美』(奈良国立博物館、2008年)等。⑵ 野口善敬『ナムカラタンノーの世界─『千手経』と「大悲呪」の研究』(禅文化研究所、1999年)⑶ 『蓮華王院本堂千躰千手観音像修理報告書』(妙法院、1957年)参照。⑷ 『大正蔵』巻20、p. 124c⑸ 『大正蔵』巻20、p. 125ab。なお『大正蔵』本では、この偈文の冒頭に「已下似不空三藏譯」と注記されている。すなわち『補陀落海会軌』の偈文「左定日精珠  左理宮殿珠  左定乾銷珠  左定寶弓珠(後略)」(『大正蔵』巻20、p. 130b)との類似を指摘するが、『補陀落海軌』の方では全ての左手の記述が終わった後に、右手について記述しており、左右手の対応が一目で分かるような表記とはなっていない。⑹ その他、「宝弓」「独鈷杵」「蒲桃」の手が同経の本文と偈文の記述で異なる。⑺ 定深については平泉澄『中世に於ける社寺と社會との關係』(至文堂、1926年)、松原智美「清⑻ 別本(文永6年〈1269〉の写本)では、当該部分は「頂上化仏者灌頂授記之義也 經云若為十方諸仏速來摩頂授記者當於頂上化仏手 是故行者従師獲灌頂時依此本部戴蓮花中安化佛説法像既蒙印可也 即誦大悲呪即得授記所以經云成仏不久〔云ヽ〕」とある。⑼ 『大正蔵』巻20、p. 111b⑽ 『大正図像』巻10、p. 807b⑾ 『大正図像』巻10、p. 807b。なお『白寶口抄』巻54「千手各持三摩耶事」にも「頂上化仏手〔左が示唆されよう。おわりに頭上に2本の脇手を挙げて化仏をとるという特徴ある姿が印象的な清水寺式千手観音像は、その存在は十分に認識されながらも、これまで経軌によらない特殊な作例として本格的な考察が加えられてこなかった。しかし、本調査研究により、2手による頂上化仏手および関連する脇手についての図像典拠とともに、各手の配置のヴァリエーションの一端が呈示されたといえよう。なお、『千手形像四十手相對義』では「大唐諸師以第二像最寫當理」として大陸に図像の由来を求めることで清水寺式の正当性が主張されていたが、実際中国では四川省邛崍石筍山摩崖の千手観音(中唐8世紀後半)にすでに清水寺式があらわれ、絵画でも敦煌将来スタインコレクションに清水寺式の作例(五代10世紀)がみられる。清水寺式千手観音像の源流に関しては中国の作例の検討が要されよう。また、平安後期以降の清水寺信仰と清水寺式千手観音像の造立の関わりについても、今後の課題としたい。239頁。水寺定深とその収集図像」(『宗教美術研究』第7号、2000年)等参照。右〕事」とある。『大正図像』巻6、p. 639b― 304 ―

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