明代の旅游文化と実景山水図研 究 者:公益財団法人大和文華館 学芸部部員 植 松 瑞 希1、張宏と「越中真景図冊(越中名勝図冊)」について明代後期に蘇州を中心に活躍した張宏(字君度、号鶴澗、1577~1656頃)については、朱謀垔『画史会要』巻4、姜紹書『無声詩史』巻4、徐沁『明画録』巻8、藍瑛・謝彬『図絵宝鑑続纂』巻2、張庚『国朝画徴録』巻上、秦祖永『桐陰論画』巻上に画家としての簡単な伝記が載るほか、徐鳴時『横谿録』巻3、張世偉『張異度先生自広斎集』巻14にやや詳しい記述がある。これらによれば、張宏は蘇州城西南にある横塘鎮の貧しい家に生まれ、少年時代に学業を断念、後に画家として成功し、売画で家族を養ったという。作品の跋文から、基本的な詩作の知識はあったこと、陳元素・趙宦光・王心一ら蘇州の名士と交流があったことがわかり、陳祼と並んで明末蘇州の文人サークル内で活躍した代表的職業画家と位置付けられている(注1)。現存作例には、当時蘇州で流行した名勝・園林・風俗などの主題が多く含まれ、構図や筆墨・彩色法において、沈周・文徴明・文伯仁・文嘉らの影響が指摘される(注2)。一方で、西洋画法を取り入れて実際の景色をより正確に再現した、明末の革新的な画家の一人として高く評価されていることが特記される(注3)。大和文華館所蔵の張宏の図冊〔図1~8〕は、8図から成り、第8図に「越中名勝、甲於寰、海洋々乎、大方観哉、耳習稔矣。己卯春、泛葦以渡。与所聞、或半参差。帰出紈素、以写如所見也。殆任耳、不如任目与。己卯秋日、張宏識。」と記される。これにより、本図冊は、崇禎12年(1639)、画家が63歳の春に、実際に旅行して見た越の名勝を、帰宅後の秋に描いたものであることがわかる。なお、「見たままを描いた」という言葉からか、大和文華館の購入時の台帳には「越中真景図冊」とあり、以後この名称が用いられているが、それ以前は「越中名勝図冊(画冊)」と呼ばれることもあった。本稿では自跋に「名勝」とあることを重視して、後者を用いる。各図には、「張宏」と「君度氏」の2印、旧蔵者のものと思われる不明印が捺されている。印の位置から、縦30.3cm、横18.6cmの各画面は、若干の切りつめはあるものの、ほぼ当初状態と推測される。現在の装幀は、箱書・題箋を書く「六一山屋」あるいは「古道人」を名乗る人物によって成されたもので(注4)、画絹・印・画法から各図が同一冊であることは疑いないが、その数や第8図以外の順序については、制作時と異なっている可能性も考慮すべきである。― 309 ―─張宏筆「越中真景図冊」を中心に─
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