鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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4、張宏の名勝山水図の視覚効果と旅遊文化「越中名勝図冊」以前の張宏の名勝山水図としては、「石屑山図」(1613年、台北国立故宮博物院)、「棲霞山図」(1634年、同前)〔図11〕、「蘇台十二景図冊」が知られている。「石屑山図」は、自跋に友人の唐献可と共に長興(浙江・湖州府)近くの石屑山に遊んだとある紀游山水図である。V字型の山間を流れる渓流が鑑賞者の視線を導き、樹木の大小変化を極端につけて遠近が強調されている。「棲霞山図」では、より成熟した遠近表現が見られる。自跋に「明止」なる友人と南京近郊の棲霞山に登り、雨中に見た景観を図したといい、中峰西麓の棲霞寺伽藍から、東南の舎利塔・大仏閣、山中の千仏巌、その後ろの松林に覆われた中峰・東峰を眺めるように描く(注17)。画面左下3分の2ほど、舎利塔から千仏巌までの前景と右上の後景は、斜めに分割され、色の濃淡や樹木の大小における対比が意識される。前景は見通しが悪く、山上に向かう道や千仏巌も松の間に隠れるように表される。一方、見おろすように松林が描かれる後景には遮るものがなく、小さくなる樹木によって一気に遠ざかる空間が巧みに表されている。としての基軸を明確に示す同時代の山水構図法をよく学習しているのである。4年後に制作された「蘇台十二景図冊」は、常州の荘起元に贈られた蘇州の名勝図である。このうち、支硎山を主題にした1図は、「棲霞山図」の上部を反転したような対角線構図をとり、画面右下の寺院に視点を設定し、その先に広がる山林と遠山を、遠近を強調して描く。縦3mを超す「棲霞山図」の空間表現が、縦30cmほどの画頁に応用された例である。張宏が、呉彬・李士達ら同時代の画家と同様に、西洋の遠近法の影響を受けていることはすでに指摘されているとおりである。ただ、特にその名勝山水図において、遠小近大を強調した表現が画面の一部に限定して採用されることについては、旅游文化の興隆を考慮に入れる必要がある。高所に登ってはるか遠方まで一目で見通した視覚経験は、旅行の醍醐味であり、遊記にも特筆される。例えば、高攀龍(1562~1626)は呉山に登り、そこからの眺めを楽しんで、「近俯闤闠、遠眺湖山、大江蒼茫倶落、眉睫曠然大快。余謂遊之益人多矣。(中略)至於登高、俯下千里、極目天地戸牖、万象晦明。当此之時、其境有不可得而言者矣。」と述べている(注18)。王履「華山図冊」にも、画面右上に渭川や黄河を小さく配して、山上からの眺めを表そうとした「巨霊迹」や「東峰頂見黄河潼関」〔図12〕がある。王履画では近景と遠景の間に霞の空白があるのに対し、張宏画では急速に小さくなる山林によって遠ざ― 313 ―

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