鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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かる空間が連続的に表される。王履と張宏が再現を試みた旅行中の視覚経験は類似するが、張宏の方がより動的な表現を選択していることがわかる。「越中名勝図冊」第2図では、左下の前景樹木に遮られる視界と、右上に伸びる橋の導く開けた視界が、対比的に表される。これは「棲霞山図」上部に見られた構成の応用といえる。また、第5図においては、前景の橋上の閣とその右奥の寺院、城郭の見張台と山上の塔、奥の城郭と遠山、それぞれの間に遠近の差が段階的につけられる。これにより鑑賞者は、橋上や見張台に立った旅行者の視覚的驚きを追体験することができる。「越中名勝図冊」第4図も、「棲霞山図」と同様、対角線上の極端な大小変化を効果的に用いる。中央の帆舟より手前では、岩壁のごつごつとした質感やしぶきをあげる波線が克明に描写されるのに対し、後方の山は淡墨で柔らかくぼかされ、水流もほとんど描かれない。ここでは、舟の航路が「棲霞山図」とは逆方向に視線を導く。遠ざかる空間ではなく近づいてくる空間、すなわち川を下る帆舟の速さが強調されるのである。游記には乗舟の感興についての記述も多い。例えば、陸治や宋旭も描いた厳灘・七里龍付近の急流に対しては、「船下如弩、波漂両涯、両涯之山、若飛而過。」との驚嘆の言葉が残る(注19)。「越中名勝図冊」第4図の主題が同所かどうかについては判断を保留したいが、画家がこれに類する舟旅の速度感を伝えようとしたことは確かだろう。張宏は、基軸を明確に示す構図法に、極端な遠近表現を組み合わせることにより、旅行中に得られる視覚の驚きを画中に再現したのである。5、「越中名勝図冊」の人物描写様々な種類の樹木や、寺院・塔など建物の細密描写も、本図冊の見所の1つである。ここでは、紀游山水図によく見られる乗輿の人物のほかに、旅行者がどのように描かれているかに注目したい。第2図では、近岸に対し、遠岸の城門付近で川石や橋幅を小さくすることで奥行を表す。しかし一方で、商店で休憩したり舟を迎えたりする人々は一定の大きさを保って描かれ、城外に集う人々の描写が重視されていることがわかる。第4図や5図では、舟や橋の上いっぱいに身を寄せ合い、思い思いに外を眺める旅人が描かれる。『図絵宝鑑続纂』によれば、張宏は人物もよくし、「雑技遊戯図巻」や「閶関舟阻図」(共に北京故宮博物院)のような風俗主題の作例も残る。本図冊でも旅先で見た人々の生き生きとした様子がよくとらえられている。『海内奇観』中、「昭慶大仏図」・「岳武穆王墓図」・「北関夜市」など杭州の名勝図では、商店や雑技に集う旅行者が数多く描かれ、景観のにぎやかな雰囲気を伝えている。― 314 ―

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