― 322 ―の妻ルクレツィア・ロスピリージのもとからは男子が生まれず、一家断絶の危機に瀕していた。そのため、アントン・マリアはフィレンツェ家系のアントニーノ(1658−1757)を遺産相続人に指名したが、それが契機となって、フィレンツェの一族と、アントン・マリアの一人娘ゼッフィリーナ(†1757)の間で訴訟が起こる(注19)。結局1732年にそれらは双方に分与されることで決着した。ゼッフィリーナは1718年にローマの名門コロンナ家に嫁いだため、この時分与された財産はコロンナ家の所有下に入ったが、後世の売却を免れた作品群は、ローマ、コロンナ美術館の所蔵品として現在に至る(注20)。一方、フィレンツェの一族が相続した財産は、その後の家系断絶によってボルゲーゼ家の所有となり、現在ボルゲーゼ美術館のコレクションを形成している(注21)。さて、このサルヴィアーティ家から美術作品を購入したのが、在リヴォルノ英国領事ジョン・アドニー(John Udny;1727−1800)である。そして、彼が1784年にサルヴィーティ家から購入したと伝えられる作品こそ、今日東京・上野の国立西洋美術館に所蔵されるグイド・レーニの《ルクレツィア》であった〔図2〕(注22)。紙面の関係上多くの議論を費やすことはできないが、以下イタリアでのアドニーの足跡を簡単に辿りながら、《ルクレツィア》の来歴についての調査結果を報告したい。もちろん、この時期にサルヴィアーティ家の美術コレクションが流出したことは間違いない。ジュゼッペ・ペッリ・ベンチヴェンニの日記によれば、サルヴィアーティ家は1777年に自身のコレクションを売却しているし(注27)、前述のフラ・バルトロメオの作品は、1779年にサルヴィアーティ家から直接購入したものだとアドニーはリ18世紀は、グランドツアーの流行に伴って多くのイギリス人がイタリアを訪れ、そこで美術品の収集に明け暮れたが、ジョン・アドニーもその一人であった。1757年からヴェネツィアに滞在していた彼は、ジョセフ・スミスの跡を継いで1761年同地の英国領事に、ついで76年から96年までリヴォルノの領事に就任した(注23)。アドニーはこの時期、フィレンツェのサルヴィアーティ家からフラ・バルトロメオの《聖家族》(注24)などとともに、おそらく《ルクレツィア》を購入したと考えられるが、奇妙なことに、フィレンツェ・サルヴィアーティ家が所有する傑作絵画の目録(1769年、1775年)には(注25)、該当作品に関する記述は見られなかった。またアドニーがリヴォルノ領事を務めていた時期は、美術作品のトスカーナ大公国外への持ち出しには政府当局の許可が必要であったが、フィレンツェ美術館歴史文書館(Archivio Storico di Gallerie Fiorentine、以下歴史文書館、ASGFと略記)が保存する、作品持ち出し申請書の中に、《ルクレツィア》に関する記述はなかった(注26)。
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