鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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注⑴サルヴィアーティ家の歴史については、P. Hurtubise Une famille-témoin: Les Salviati, Città delVaticano: Biblioteca Apostorica Vaticana, 1985; V. Pinchera Lusso e decoro: Vita quotidiana e spese deiSalviati di Firenze nel Sei e Settecento, Pisa: Scuola Normale Superiore, 1999を参照。― 323 ―チャード・コルト・ホアールに宛てた書簡で述べている(注28)。さらに、1780年には2体の古代彫刻が王立ギャラリー(ウフィツィ美術館の前身)に売却されている(注29)。そのため、歴史文書館において1770年代後半から80年代前半の文書類を再調査した結果、興味深い史料が発見された。1780年12月20日と1781年2月9日の日付が付された2通の書簡には、カルロ・ボンシとその兄弟が、王立ギャラリーのトリブーナに飾るものとして、グイド・レーニの「ルクレツィア・ロマーナ」を購入してはどうかと同ギャラリーの館長ペッリ・ベンチヴェンニに打診しているが、そこには次のような詳細な作品記述が残されている。膝上の半身像の絵。黄色い天幕と枕のある寝台に座したローマのルクレツィアを表わしている。[彼女は]顔を天に向け、寝台に載せた右手の下にはナイフを持つ。高さ1と半ブラッチョ、幅1と3分の2ブラッチョで、グイド・レーニの作品。大変美しい豪華な鍍金の額縁付き〔図3〕(注30)この記述と西洋美術館の作品には、いくつかの相違点がある。まず書簡では「黄色い天幕と枕」とあるが、作中の枕は黄色であるのに対して、天幕は薄紫である。一方寸法も書簡では約88×約98センチメートルと横長のフォーマットであるのに対して、上野の作品は101.5×82.0センチメートルと縦長である。ただし縦と横の寸法を逆にすれば、書簡の記述と東京の作品はほぼ一致しているため、これらの齟齬は誤記による可能性がある。もちろん書簡に登場するレーニの作品がサルヴィアーティ家伝来のものであり、アドニーが購入したものであるということを示す決定的な根拠はない(注31)。しかし、サルヴィアーティ家から王立ギャラリーに売却された先述の2体の古代彫刻の代金は、レーニの作品の購入に向けた動きが始まる3か月前の1780年9月21日付の収入帳に記載が見られることから(注32)、《ルクレツィア》もこの時期にサルヴィアーティ家から流出し、最終的に1784年にアドニーの手に渡ったのではないかと筆者は考えている。

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