鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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 ─米国ルックウッド・ポタリーとの影響関係をめぐって─研 究 者:島根県立石見美術館 専門学芸員  河 野 克 彦― 328 ―はじめに近年、日本の近代文学研究および近代陶磁研究によってアメリカ・オハイオ州シンシナティ市の製陶所ルックウッド・ポタリー(Rookwood Pottery)で長年絵付や器のデザインに従事した石川県出身の白山谷喜太郎についての調査が進展しつつある(注1)。こうした調査の中で、明治期におけるルックウッドの出雲焼からの影響について白山谷の言及があること、また当時の日本の窯業関係者も違った角度からルックウッドの陶器におけるこの島根県の焼物からの影響について述べていることが明らかになっている。一方、明治期の出雲焼の中心人物澤喜三郎や当時の出雲焼を調査した応用科学者大築千里らによる記述から、逆に出雲焼がルックウッドから釉下彩という当時の新しい技術を取り入れたことが明らかになり、実際の作品についても調査が進められている(注2)。こうしたことから、出雲焼とルックウッドの間に互いに影響関係があったことが推論される。本稿では、出雲焼とルックウッドに関わった当時のさまざまな立場の人々の発言から、この日米ふたつの陶器の関係について論じる。1.白山谷喜太郎の講演アメリカのルックウッド・ポタリーで働いていた白山谷は、大正元年(1912)日本に一時帰国した際、ルックウッドについての講演をしている。その一部は下記のような内容である。私がロックウード製陶所に往きましたのは、今より丁度十八年前でございます。当時同所には二三人しか居らなかったそうしてその時拵えた品物は恰も日本の出雲焼に似たものでありました。それはどういう訳で出雲焼に似たものを拵えたかというと、日本で大学が創立された当時招聘されて来たモースという人が、日本滞在中に各種の陶磁器を多数集めて之を本国に持ち帰った。今でも其人の品物はボストンの美術館にありまして有益なる研究資料に供せられて居りますが、それをどういう関係からか存じませんが当時米国シンシナチ州で有名な金持の娘であ㉚ 明治期の出雲焼の研究

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