「後三年」摸写の諸本は、上記の簡単な記述からも分かるように、かなりの数に上り、豊かな内容をもつものである。しかしながら、摸写本を内容とする書籍あるいはアルバムのような出版はなく、そのような予定も聞かない。一方では、これらの摸写本についての調査となれば、たいていの所蔵機関は快く対応し、しかも貴重書扱いにもかかわらず、多くの機関は個人研究利用との条件で撮影まで許可してくれた。「後三年」摸写群は、絵巻摸写にかかわる一つの具体例を提示している。つぎは、「後三年」摸写諸本のさまざまな様相への観察や分析から出発して、絵巻摸写の全体のありかたについて考えを進めたい。二、摸写の理由そもそも絵巻はなぜ摸写されるのだろうか。摸写作品を読み解くためには、まずこの単純な問いに直面しなければならない。絵巻の原典が作製されたのと同じ性質の道具を用いてそれを記録、再現するよりほかに考えられなかった時代において、摸写という作業は遥かに重要な役割を請け負う大切な活動だった。一例としてあげてみれば、「春日権現験記」の摸写に関わる資料の記述がきわめて示唆的なものである。「春日権現験記」摸写(東博本)にみる「この画巻物に添る辞」において、紀州藩藩主徳川治宝の意を受けてこれの全巻摸写を企画した長沢伴雄は、その間の苦労を細かく記した。中では絵巻原典の所有者を説得する文言として、摸写が実現できなければ大事な宝ものが「火災などにて失はて(る)」危険に晒されることになり、しかも摸写の意味は「故実の考の助にな(る)」ものだと絵巻の所蔵者を相手に力説した(注2)。すなわち一点の貴重な古典資料をめぐる、それの後世への流転や保存、そして現世でのより重要な社会的な課題への応用、資料価値の再発見が摸写の意義として語られた。前者についていえば、身近に存在する危険性を持ちだして原典の分身を制作しておく必要性を切実に訴え、後者については、「故実の考」に集約して、当世の国学の機運という至上の命題を振りかざしたものである。いうまでもなく両方とも摸写活動の大切さ、緊迫さを説明する原則論であり、一種の建前なのである。さらに言えば、有職故実の学問に用いることを前提とすれば、もとの絵巻が表現しようとする宗教的、あるいは叙事的な内容を二次的なものにするという読み方、利用のしかたを告白する結果となり、宝ものの保存と言っても、摸写作品を原典の持ち主の所有物としない以上、あくまでも企画者の所蔵を増やすものにほかならない。ただ何れにせよ、念願の摸写が確実した成果を上げたことからすれば、以上のような認識はかなりの意味において社会に共通したものだと捉えるべきだろう― 24 ―
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