― 344 ―定は以前から伝わってきた伝統を定着させたと判断される。葬礼のみならず、3周忌を終えた後、神主を宗廟に移す祔廟儀でも牡丹屏が使用されていたことが確認されていることから牡丹屏が宮廷儀式のために制作された重要な儀物であったことがわかる。朝鮮において牡丹は、王家の皇室の祖先を祭る意味を超え、朝鮮という国家の価値、王権の権威を強調、再確認させる重要な国家的行事にも用いるほど好まれた画題だった。「宮牡丹図屏風」は表面的には王室貴族の好みを反映し、彼らが追求した栄華を標榜しようとする欲求を充足させ、国家的立場では太平盛大と国泰民安のために天保を念願する義務化として牡丹の象徴性が位置づけられてきたと思われる。しかし本稿で取り上げた狩野梅笑の「牡丹流水図屏風」は外国からの貢物であることから儒教思想であった朝鮮の、国の儀礼で使用された可能性より、小規模で行われた行事に使われた可能性が高いと考えられる。特に官僚の小行事やヤンバン家における儀礼で使われた可能性も指摘できる。では官僚たちの行事について考察してみよう。3.官僚や両班家の行事図韓国ソウル歴史博物館所蔵の「懐石牡丹図」〔図11〕は興宣大院君の旧居であり、26代王、高宗も12歳で即位するまでを過ごした雲峴宮の老楽堂を飾っていたものである(注11)。老楽堂は雲峴宮でもっとも中心となる建物で、家族の還暦祝や祝宴など、大きな行事があるとき、主に使用されていた。1866年3月21日に高宗と明成皇后の嘉礼が行われたところでもある。このように牡丹図屏風が家族の還暦祝や祝宴など、大きな行事が行われていた場所で描かれていたことは吉祥の意味としてとらえると自然な流れではあるが、このような場所に描かれていたことは注目すべき点ではないだろうか。屏風とは異なる形式のものであり、太湖石を中心に牡丹が描かれている点など、空間と牡丹図の関係性などこの問題については今後の課題として考えていきたい。まとめ伝統的に富貴の象徴として認識されてきた牡丹は陶磁器や衣服などの装飾的な文様としてよく使われ、絵画の題材として好まれてきた。牡丹のこのような象徴性から牡丹を題材にした屏風、すなわち華麗に彩色された牡丹屏風が王室の慶事に使われていたことはとても自然な流れであることは否定できない。しかしながら本稿で取り上げ
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