』 「Prevailing Plants Appearing to Flowers and Birds Paintings and Analysis of Peony Paintings in⑺Kim Hongnam ed. Korean Art the Eighteenth Century: Splendor and Simplicity(The Asia Society/「A Study of a 10-Fold Peony Screen housed in the National Museum of Korea」『美術史研究』― 346 ―⑹⑶1405年に景福宮の離宮として創建され、第9代王成宗が正宮として使用した。豊臣秀吉による文禄の役(1592)の漢陽占領の際に景福宮や付属する庭園(秘苑)などと共に焼失した。その後、1611年に光海君によって正宮として再建されている。王朝末期の1868年に景福宮が再建されると、昌徳宮は再び離宮として使用された。現在の韓国国内の宮殿の内、最も原形を残す宮殿であり、朝鮮の宮廷の中で一番長年の期間中王が使用した宮廷である。王朝政府が国家的な行事を催するときに用いられる建物であり、朝鮮通信使が出発に先立って集合を命じられた場所が「仁政殿」の内庭であったことが確認できる。26号、2012年、87−104頁。Traditional and Folk Paintings of Joseon Dynasty」2008年。Abrams 1993年。金紅男「朝鮮時代ʻ宮牡丹屏ʼ研究」『美術史論壇』9号、1999年。Lee Jeyoung-sook 「朝鮮後期国葬用牡丹屏の使用とその意味」『古宮文化』創刊号、国立古宮博物館、2007年。に」『武蔵野美術大学大学院博士後期課程研究紀要No.3』 2010年。「朝鮮国王に贈呈された「楊貴妃図屏風」─己酉約条と「金屏風五對」をめぐって」『美術史』172号、2012年。なお、「田雁秋景図屏風」と「牡丹菊流水図屏風」は栃木県立美術館、「田雁秋景図屏風」はサントリー美術館で公開され、以下の図録に紹介されている。サントリー美術館編『BIOMBO屏風 日本の美』日本経済新聞社、2007年。栃木県立美術館他編『朝鮮王朝の絵画と日本─ 宗達、大雅、若冲も学んだ隣国の美』読売新聞大阪本社、2008年。また、両展覧会では、増訂『古画備考』巻45の「宮殿筆者」の名称である「苅田雁秋草図」としているが、本論では朝岡興禎原本の『古画備考』(東京藝術大学附属図書館)に基づいて「田雁秋景図屏風」と称する。朴、前掲「近世における日韓絵画交流の研究─朝鮮国王に贈呈された「苅田雁秋草図」を中心に」28頁。⑷辛基秀・仲尾宏責任編集 『大系朝鮮通信使;善隣と友好の記録・朝鮮通信使 』第1巻〜第8巻、明石書店、1996年。辛基秀『朝鮮通信使とその時代』 明石書店、2001年。仲尾宏『朝鮮通信使 江戸日本の誠信外交』岩波新書、2008年。⑸山内長三「李聖麟と崔北寛延度来日通信使随行画員について」『中吉功先生喜壽記念論集』国書刊行会、1987年、264−268頁洪善杓「江戸時代における韓国絵画の受容;朝鮮通信使と日本」 『日本における外来美術の受容に関する調査・研究報告書』東京文化財研究所、2006年、60−61頁。洪善杓「朝鮮後期韓日絵画交流と相互認識;通信使行を中心に」『2号、2001年、203−232頁。⑻『宮中遺物図録』文化財管理局、1986年、278頁。⑼前掲 金紅男「朝鮮時代ʻ宮牡丹屏ʼ研究」。⑽朴延惠「儀仗」『美術史研究』1995年、203−290頁。
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