鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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注⑴白話小説とは、口語で書かれた小説のこと。中国では、宋代から口語による説話が刊行され、― 355 ―存していたが、寛政期後半にはこれを脱し、さらに「密画」という手法を用い始めたことで、劇的で緊迫感のある様式を獲得し、文化期初頭の江戸読本の流行と共に全国に広まった。しかし、その人気に陰りが出始めた文化期後半には、背景描写の「密画」を温存しつつ、登場人物を役者絵風に描く合巻の手法を取り入れることとなった。こうした読本挿絵の様式史的展開を概観すると、「密画」の手法を取り入れた劇的かつ迫真的な様式が、読本挿絵の特質であると結論付けることができる。中華民国時代の言文一致運動により文語文が廃止されるまで小説の区分として存在した。⑵読本挿絵について、様式史以外の研究を探すと、その対象は、概ね■飾北斎(1760−1849)に限定される。例えば、鈴木重三「馬琴読本の挿絵と画家─北斎との問題など」(『絵本と浮世絵』美術出版社、1979)や、板坂則子「『占夢南柯後記』稿本挿絵より─馬琴と北斎─」(『近世文学俯瞰』汲古書院、1997)では、読本の稿本(下書き)から、作者と画工、すなわち■飾北斎と曲亭馬琴の関わりが論じられている。また、美術史の領域でも、織田一磨が『浮世絵と挿絵芸術』(萬里閣、1931、59頁)で、画面全体に漢画の筆法が横溢すること、飯田真が「北斎読本挿絵考」(『美学美術史研究論集』第4号、名古屋大学文学部美学美術史研究室、1986)でそのダイナミックな様式が幾何学的構図から成り立つことを述べ、辻惟雄が「北斎と眼の魔術」(『日本美術の表情─をこ絵から北斎まで─』角川書店、1986)で西洋版画の参照を指摘している。⑶「合巻」とは、挿絵入りの娯楽的内容を持つ草双紙類の最終形態として、寛政改革以後の江戸で出版された小説の一ジャンル。仇討などの勧善懲悪を主題とし、複雑な筋を持つようになり、長編化した。そのため、数冊をまとめて綴じるという工夫が生まれ、これを理由に「合巻」と呼ばれる。⑷滑稽な内容をもつ中本型の小説類。ただし、その前段階とされる教訓を主体とし滑稽な内容を持つ談義本も、広義の滑稽本に含むとされる。例に挙げた『幽闇世話』は、半紙本であることから、こちらに含まれるか。⑸水谷不倒は、『古版小説挿画史』(大岡山書店、昭和10年[1935]刊、278頁)で、「浮世草子から読本時代に移る過渡期」を、「即ち読本の前期」として、本論で初期の読本として扱う挿絵作品について、「此讀本は、浮世草子や、後の讀本のやうに、一定の型に捉はれず、自由の境地にあつて、筆者思ひ〵〳の表現に、腕を振つたことを特色とする。其繪の巧とか、拙とかいふことから離れて、無邪氣な純眞さに、感興を惹かれるのである。」と述べている。⑹読本の発生母体となった明清白話小説の挿絵は、自然の景物の描き込みは他よりも細やかだが、全体で見ると余白が多く、また、流麗な描線を使いながらも描写は簡略的である。今までの調査では、これに通じる日本の読本挿絵を見つけられていない。⑺岡田玉山は、寛政5年(1793)から文化9年(1812)の間に20点の読本に挿画し、そのうち7点が自画作である。⑻斎藤月岑『浮世絵類考』(由良哲次編『総校日本浮世絵類考』画文堂、1979、182頁)には「刻板の絵入読本を多く画り。又文をも作りして自作のもの多し。玉山の画風を学びたりと云。」

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