つきつめて言えば、ここに似せることを最大の目的としない摸写の方法を確認したことになる。原典の再現や記録でありながらも、原典からの束縛から解き放され、ひいては原典に提供された絵画世界に対して、独自の認識に基いて、意図的な表現を打ち出そうとしていることが読み取れる。摸写の方法という視点から考えれば、現状と復元に加えて、それらに並ぶもう一つの方法として、あえて名前を付けて「表現摸写」と呼びたい。四、摸写は表現絵巻摸写における「表現摸写」という方法の本質は、原典の絵巻に似せることを終極の目的としないことである。原典と摸写とを並べておけば、両者の差異は一目瞭然である。だが、そのような違いは、無意識のうちに、あるいは絵画技法の不十分によってもたらされたものではなく、むしろその反対、絵師が真剣に考えぬいたうえでの結果であり、しっかりした論理や発想によって支えられるものである。いわゆる現状摸写と復元摸写の方法に原典の再現を目標とすることに共通点があるとすれば、表現摸写はそれにおいて明らかに別の基準を求めようとしたものである。作製された摸写の絵巻は、読者に提供され、熱心な鑑賞に耐えなければならないのだが、そのような鑑賞は、けっして原典と両方を並べて、二つを読み比べるといったようなことを想定するものではない。したがって絵に見られる差異は、はなはだ意図的なものと言わざるをえない。「後三年」摸写群において、以上の分析を具体的に示す証拠が多数見られる。中から分かりやすく、見ようによっては極端なぐらいの実例をあげてみよう。絵の内容に関わるものとして、「成城本」中巻一段において、義家の兵士たちの楯に清和源氏の笹竜胆家紋が描きこまれた。絵の構図からにしても、または表現内容としてもかなり唐突なものだと言わなければならないが、摸写作者が故実考証の知識を摸写の内容に取り入れたことに自負していると見受けられる。絵巻全体の構成に関連して、「資料館鈴木本」(注19)では詞書と絵の段落分けが見直され、三巻ともに詞書と絵の振り分けを変えてそれぞれ原典の五段から六段に作りなおされた。物語叙述の脈略を整理して再表現しようとした気迫が伝わるが、表現の成果としてはたして有効かどうかは別問題である。さらに詞書にも注意が払われ、「東博渡辺本」(注20)では料紙に違う色のものが選ばれ、見た目が美しい色紙仕立てに仕上げられた。絵巻の基本的な構成が改められ、摸写作には美術品としての性格が豪華に演出された。これらの実例は、いずれも原典との違いとして指摘すれば簡単に片付けてしまう。しかしながら、この― 27 ―
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