鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 362 ―「有徳院御実紀附録巻第十六」において、吉宗は探幽画を「南無妙法蓮華経の境にいれり」と評したとされるが(注9)、これは政治的な部分が強調されやすい徳川将軍と探幽画の関係において、宗教的な価値観が介在する可能性を示すものとして重要なものとなるだろう。以上、簡単ではあるが探幽評価を概観してみると、同時代的視点で「家法一変」の背景に触れた史料が少ないことに気づく。それは探幽が家法を一変させるに至らしめた「同時代的視覚」の探究には、画論よりもむしろ和歌論といったような周辺領域を考慮にいれた同時代作品との比較といった手続きが必要となってくることを示している。3.同時代的表現との比較─当世風俗画そこで探幽作品の同時代作品との比較を試みてみたい。取り上げたいのは若衆観楓図〔図1〕である。これは探幽の新やまと絵様式の典型ともされ、風俗画という当時流行の画題を探幽も手掛けたことを知ることのできる貴重な作例であるとともに、他の風俗画との比較によって新やまと絵様式の特質が浮き上がってくると思われる。描かれているのは一本の楓の下に立つ瀟洒な美少年で、通常妖艶な姿が描かれる他の風俗画とは一線を画している。その足元には流水が流れ、背後は広大な余白が詩情を醸し出している。着物に着目すると、そこには菊紋が散らされており、若衆・菊・流水で菊慈童の見立てとし、儚く散る紅葉と組み合わせて永遠なるものと限りあるものの対比が主題であるという魅力的な解釈がなされている(注10)。本稿で特に注目したいのは履物を履かないという特異な表現である。一見明らかに屋外であるにも関わらず履物を描かないのは、一説には鑑賞者に遠慮したためともされる(注11)。しかし当時の風俗画において履物を履く、履かないということについて、一定の理由による描き分けがあったとみられることが畠山浩一氏によって指摘されている(注12)。畠山氏によれば履物の有無は、描かれている場面が実際の屋外か屋内かというよりは、その背景が金地であるか素地であるかに左右され、金地であれば脱ぎ、素地であれば履くという描き分けがあるとする。それは金地=「非日常・聖なる世界」、素地=「日常・俗なる世界」といった意味の違いに由来し、金地が規定する聖なる世界には履物を履いて踏み込むことが感覚的に忌避されたのだと言う。そして具体的な例としては彦根屏風(彦根城博物館蔵)〔図2〕と本多平八郎姿絵屏風(徳川美術館蔵)〔図3〕を挙げ、前者が遊里的世界の中に、現世への諦念とも言うべき仏教的無常観に基

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