― 366 ―てくる。そしてそのような本来は言語超越的な心の領域でしか感知できないとされた世界の本質を、余白の生み出す余情が絵画上に体現しているのではないだろうか。本作は浅野侯爵家旧蔵であることが伝えられており(注25)、支配者階級の武家の身辺にあったとすれば、支配者としてかくあるべき心で捉えた世界の姿を学ぶという、勧戒画的な意味すらも持ち合わせていた可能性も考えられるだろう(注26)。5.徳川幕府の政治宗教思想と探幽絵画最後に探幽とは切り離せない徳川家康の神格化と徳川幕府の政治思想との関係について少し触れておきたい。家康の神格化については曽根原理氏の詳細な研究があるので(注27)、ここではその概要を述べるにとどめたい。『東照社縁起』における家康神格化の思想は「治国利民法」にその核心がある。これは中世以来の天台本覚思想的な方向性を持ち、悟りの世界と煩悩の世界を一元的に把握し、衆生を救済することを説くものである。また「治国利民法」は仏教原理としての山王権現によって示されるが、山王権現は東照大権現と同体であり、家康はその東照権現が衆生救済のため現世に現れた垂迹であった。このような思想と探幽絵画の結び付きは、「東照社縁起(仮名縁起)」(日光東照宮宝物館蔵)が、先行する絵巻の手法を選り分け、引用することで、さまざまな中世的思惟を織り込み、それを新しいやまと絵様式によって東照権現のための神話を再生したとする松島仁氏の見解によって端的に表されている(注28)。しかし筆者としてはその中世的なものから「当世風」への転換の様相に注目したい。例えば「東照社縁起」巻二第三段の駿河花見〔図5〕では、家康は花々の美しさに世界の本質を見抜く人物として描写されており、その極彩色の景物がそれを象徴する場面である。この図様自体は融通念仏縁起(清凉寺蔵)からの引用であり〔図6〕、家康を天皇になぞらえる効果があるとされるが(注29)、探幽は清凉寺本とは異なり、場面の最後に余白を付け加えている。この余白に何らかの象徴性を読むとすれば、これは世界の本質に到達した家康の「心」の視覚表象であったのかもしれない。また、ここで『徳川実紀』の記事を振り返ると、その隠れた意味が見えてくる。将軍が探幽の絵を見て「南無妙法蓮華経の境にいれり」と評価する。つまりこれは将軍が本覚思想的な世界の本質を理解したということであり、それは天台教学に裏付けられた徳川将軍の衆生救済という存在意義を継承していることの確認の意義もあったのではないか。吉宗をはじめとする為政者や儒学者は、家康を武将・為政者の鏡として崇拝していたことが指摘されており(注30)、この記事はそのような家康をめぐる政
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